なんか、

ちょっと気づいてしまったというか、

急に腑に落ちてきたというか…



あ、

そういうことか。


ってなってます。ここ数日。



自己否定をしたり、

自分は愛されないとか、

自分は大切にされたいとか、

自分はいずれ見捨てられるとか、



頑なに思い込み、

ぎゅっと握りしめてきていたこと。

本当に、


ただそれを握りしめていたんだ


ってことが

ふと体の中にストンと落ちた。



自分と自分を取り巻く人や環境が、

とても愛おしいものに

感じられるようになった。



それを

私の心が信じるようになった。



私が取り組んだのは、

ただただ自分の話に耳を傾け、

全力で味方でいようとしただけ。

そのやりとりを

紙に書き出しただけ。



最初は気持ち悪いよ、そりゃ。



うちの親は褒めたり、

丁寧に話を聞いたり、

応援したり、励ましたり、

純粋に可愛がったり、

一緒に楽しんだりしないし、

むしろ子供に

関心すら向けない感じだったから、



やりなれてないし、

やられなれてない。



でも、そここそ、

根性の使いどころなんだと思った。




たまたま、

親の精神的な器が

そのサイズだっただけで、



私が可愛がられる、

愛される存在であるか、

っていうのは別の話で、



親から受け取れなかった

真っ当な安心感を自分に与える作業こそ、

根性を入れて取り組むべきことだった。



そーいうことだったんだ…



でも、今、

私がたまたま調子が

良いだけかもしれないし、

また前の習慣や慣れた思い込みを

引っ張りだしてくることもあると思う。



それも込みで、

全力で自分の味方で居てみたい。

そんな気持ちになったらね、

わたしの身近で大切な人たちにも

幸せ笑顔でいてもらわんと、



わたしの幸せは、

片手落ちな感じがしてきて…



それもまた、

そーいうことなのか…と。

なんかとても感慨深くなっている。



愛おしいものに囲まれて生きる。

それは本当に現実的な生き方のかもしれない。



今日はこれから、

「月」という映画を観てくるよん♡