前回、

ポンコツは反省までに時間が必要

って内容を書いて、



それからというもの、

私は自分の現在地や今の姿を

否が応でも

直視せざるを得ない出来事が

いくつも起こり、



悶絶しながら、今に至ってる。



反省できない自分、

向こう見ずで突進する自分、

そんな自分を認められない

痛々しい自分、



数えきれないほど、

認めなきゃいけない自分がいる。



なぜ認められないかと言えば、

ただただ自分を責めて苦しいし、

解決できる自分が見当たらないから。

なんだけど、



そもそも


反省できない自分、

向こう見ずで突進する自分、

そんな自分を認められない

痛々しい自分、


になったのは、

私のせいだけ?なんだろうか。



その視点をくれたのは、

ナリ心理学のナリくんだ。



自分を責めて、

結局自分を認められずに終わる。

そんな負のスパイラルから

なんとか抜け出して、

人生の歩みを着実に進めたい。



で、

ノートとペンをしながら、

母親とのことを向き合っていた。



でも、

ちっとも感情が動かず、

母親を庇ってしまう。



自分が悲しかったり、

悔しかったり、

寂しかったり、


そういう感情とうまく繋がらない。



自分と感情の接点を探る。

私の感情の蓋となっている軸を探す。



で、やっと出てきたのが、

「私はお母さんが大好きだ」



ということだった。

この一文で、

感情と共に涙が出る。



母親のことを嫌いだったら、

もっと事はシンプルなのに…

なんて思いながら、

その先を進めていく。



私のおかしな点の一つに、

一人息子への愛情よりも

両親への愛情をより深く感じてる事。



なんで、

息子よりも親の方がかわいいのか。

マジで気持ちが悪いんだけど、

そこが紐解けずにいた。



頭が悪い、

細かいことが理解できない、

そういったことも相まって、

いつも核心までいけずにいた。



で、今日気づいたことがあった。



母はいつも愛に飢えていて、

私がいても全然幸せそうではなかった。



そして、

私はそんな母を

何とか幸せにしたいと思っていた。



私が

息子を含めた周囲から

集めた愛情を、

すべては母へと注いでいた。



それは

信じられないくらい

無意識的に。



でも、

母は穴の空いたバケツで、

いくら私がせっせと愛情を注いでも、

満たされず。



私は私の周りで、

もっともっとと愛情を

貪らなきゃいけなかった。



自分が愛情を注ぐべき

自分の子供から愛を貪り、

自分の親へと献上にいく。



この歪さ。



そして、

それと同じことが

私と息子の間でも起こってる。



本来は逆のはず。



母親から愛情を受け取り、

それを周囲や自分と繋がる命へと

還元していく。



全てのベクトルが

真逆にむいてるんだもん、

何事もうまくいくわけもなく、

私の人生自体おかしいわけだ。



母は私のことを、

かわいそうだと言った。

こんな母親でごめんねと言った。



それはイコール、

こんなゴミのような

私から生まれたあなたは

ゴミでかわいそう、

ということだった。



自分と同じように、

娘である私にもゴミを押し付けた。



自分は

不十分で、

欠けた存在で、

頑張らないと認められないと。



周りから貰わないと

決して満たされないと。



私は必死で、

そうじゃないことを

母に伝えたかった。



でも、

伝わるはずもなく、

無気力なままに、

世の中に得体の知れぬ怖さを抱いたまま、

私は大人になったんだと。



そんなのキツすぎる。



私の周りには愛情深く、

人との関係を築き、

自分の夢ややりたいことへと

着実に進んでいる人がいて、



眩しくて仕方なかった。

真似しようにも出来なかった。



だって、

私は欠けた存在だから。

やっても意味ないのだから。と。



母親のことを

今後も嫌いにはなれない。

そして、

母への愛情もあり続けると思う。



でも、

全てのベクトルが逆だったのだから、

母は大丈夫だと信じて、



今までとは真逆のベクトルで、

愛情を循環きせること。



これまでの自分が

とても残念な生き方だったこと、

母にもらった

「私はゴミだ」という思い込みを捨て、

欠けてない完璧な存在として、

自分を生きる事。



その視点で

息子や世界をみること。



オセロの駒を真っ黒から、

真っ白へと一つ一つ、

裏返していく作業が必要だ。



まずは、

黒だと知ることから。

黒を許すことから。