今日は夜勤明け後のお休み。

とてもありがたいことに、夜勤明け後のお休みは小学生の息子と過ごせる週末に設定してくれている。


細かな部分で、

配慮してくれていることに

日々密やかに気付いては、

感謝する。


とはいえ、

私の思い描く理想の週末とは

かけ離れた時間をいつも過ごす。


家族とはこーゆーもの。

親子の在り方はこーゆーもの。


そーゆー理想的な想像を、

これでもかと壊される。


朝から夜まで、

友達とゲーム三昧の息子と、

油断すればすぐ昼寝をし、

息子を置いて一人で出かける母。

できれば、料理はしたくない。

掃除洗濯はやりたい。



基本、別々なのだ。

小4ってそんなもんなのか??

仲良しの家族を見ては、

青空の下、

公園で遊ぶ家族を見ては、

なんだか心がチクリと痛む。



お昼ご飯を食べに

近くのラーメン屋に連れ出す。

それだけでひと苦労。



さてさて。

ここまで書いて、

この親子の何が問題なのか、

私にはわからなくなった。


幸せの在り方なんぞ、

人それぞれだ。


そりゃ、

子供は体を動かした方がいいだろう。

親子は仲睦まじい方がいいだろう。

ご飯はできれば手作りがいいだろう。


ご機嫌よくこちら(親)の願いに応えない息子に、私が勝手にイライラしては、バカみたいに不機嫌な時間を過ごす。



自分でも、

己のバカさに呆れるけど、

これが私の「常」なのだ。


理想的な家族、

母親を演じられるほど

私は器の大きな人間ではない。


いつだって、

自己中心的に生きてる。

いつまで経っても、

心が子供のままなのだ。



そうできない自分に、

そーゆー関係を作ってしまった

これまでの自分に、



クソほどイライラするのだ。

息子にイライラしてるようでいて、

自分にイライラしてるのだ。



降参。

過去の自分、

今の自分のダメさに

降参する。



降参すると、

きっともっと世界は穏やかで

広々としたものになる。



うちの親はいい人たちではあるが、

子供に興味を持つとか、

関心をもって大事に育てるとか、

そーゆーことはできなかった。



何不自由のない生活だったけど、

親の関心というものに、

飢えていた。



子供に関心がない

今の私になるのが

当たり前と言ったら、

当たり前なのだ。



自分が享受できなかったものを

人に与えるというのは、

かなり難しい。



下手に与えようものなら、

受けとってない過去の私の傷が疼き、

我が子にズルいとすら思う。



子供が親の考えた楽しみに付き合うのが普通であって、子供自身が望む楽しみに親が付き合うことはない。ご勝手にどうぞのスタンス。



寂し過ぎて…笑えない。



両親の幼さに、

子供の頃から気付いてはいたけど、

それが問題だと思いもしなかった。



それが普通だと思ってた。

相談しないのも普通。



自分で考えて答えを出し、

問題解決をしていくのが普通。

それが幼かった頃の私に、

実は重くのしかかっていたなんて。


だから、

未だに甘え下手、頼り下手なのだ。


そして、今、

あまりにも自然に

それを息子にも強いている。


今、

過去と繋がる今の自分を見つめ直し、

認めてあげる必要を感じてる。


親を責める気にはならない。

だってね、彼らも一生懸命だったし、

親からの安心という器の大きな愛を

享受できなかった一人でもあるから。


それは祖父母を見ていてわかる。


それと関係なく、

そう、そんな親の事情に関係なく、

ひとりの子供としての私を

認めてあげる必要ある。



「あ、この人は両親に大事にされて、尊重されて育ってんだなぁ。」



発言が公平で、

自分に自信があり、

飾らない自然な在り方で

とても安定している人をみてそう思った。



ハタチ前後の私はすでに、

人のことをそんな風に観察してた。



だけど、

私がそーでないとも思ってなくて、

ただ単にそんな感想を持っただけ。



でも、

どこかでは大人な両親を持ったことが

羨ましかったのかもしれない。






私の人生の中で、

子育てというか、息子との関係性から映し出されるものが、一番の難題だと感じてる。


仕事とか、

人間関係とか、

それに比べたら楽だ。


まだまだ誤魔化しがきくし、

ここまで自分が露わにはならない。


一番の写し鏡。

だからキツいんだよな。



ここ一年ほど、

これをクリアできない自分には

何をする価値もない…

くらいに私の中に鎮座しているのだ。



どんなに表面的な自分が

色々できようが、

成し遂げようが、



目の前の写し鏡に映るものの前には、

なんの説得力も持たない。



子供を真っ直ぐな温かい愛情で包み込めない。


という私の中の認識に、

何も勝てないから。



まずは小さな頃の私が欲しかったものを、

親の代わりに自分で自分に与えるしかない。



それは

安心とか、自信とか、信頼とか。

できない私を受け止める大きな器。



それができてやっと、

息子のことに取り掛かれるんだろう。

やっと与えることに、

ズルいと思わなくなるんだろう。



親になれば、

親になれると思ったけど、

それは完全に幻想だ。



マジで、

母性が自然と溢れるなんて幻想だ。



そんな自分と向き合う時こそ、

自分を愛する覚悟がいる。



欠点まるがかえで信ずる。



たまたま見返した本にあった

相田みつをさんの言葉。



これは自分に対してもそうなのだ。

自分の欠点を許さなきゃ、

自分こ子供だろうが他人だろうが、

欠点を許せないんだろう。



現実を直視するより、

理想を追うほうが楽だわ。

だから、私は理想を追った。


過去の自分を置いてけぼりにしてね。



さてさて、

落ち着いてやり直し。


つぃえみ。