私は介護という仕事が好きなんだなと、改めて感じている今日この頃。



自分を客観的に見ても、

明らかに楽しそうだし、

事実楽しいのです。



で、何が楽しいとか、

面白いとかを感じるかというと、

“雲の切間を見ること”

これに尽きる。



認知症になれば、

常識的なことが通用しなくなってくる。

ご本人には申し訳ないけれど、

わけがわからんなぁーと思う言動が多々見られる。



その人の人格へと、

認知症という変異が侵略してきてる。



認知症はなくとも

お年寄り特有の強情さ、

“頭が固くなる”のもある意味、

変異のひとつかもしれない。



“侵略してきてる”

って表現したのは、

その人=認知症ではないってことを

改めて感じているから。



その時々の体調や調子によって、


その人>認知症の症状

その人<認知症の症状


となる。



私が“雲の切間”と表現してるのは、

“その人>認知症の症状”

に垣間見られる

その人の人間性に触れたとき。



ほんの一瞬であることがほとんどで、

意識してなきゃ気づかないこともある。



認知症だからと決めつけた方が、

仕事のストレスは少ない。

まともに捉えたら、

やってられないことも多い。

常識を伝えたところで、

伝わらない。



だからと言って、

それがその人の全てではない。



雲の切間からは、

本来のその人が顔を覗かせる。

覆い被さる雲が厚ければ暑いほど、

周囲はその雲をその人だと思う。



私は、

その切間に見えるものに触れた瞬間、

テンションが上がりまくる。



そして、

もっと話して見たくなる。

その瞬間にもっともっと立ち会いたいと思う。



私の仕事へのモチベーションは、

そこにあるんだろうなと思う。

もちろん日々起きる珍事件も面白い。



そーきたかー!


って、

私の想像を飛び越えた

斬新なアイデアを生み出す

認知症的な行動も、

とても興味深い。



理由があることもあるし、

きっと理由がないこともある。

ただ、認知症が引き起こしてることであることは間違いがない。



どんな世界を見ているんだろうと、

日々、私の脳みそのストレッチにもなる。



表面的に見えることと、

表面下にあること。



その両方を視野に入れる。



「人」の世界は狭くない。

決めつけというのは、

なんともったいないことだろうと思う。



決めつけないで見てみる。

それだけでも違う世界が見える。



ま、決めつけちゃう方が、

“これはこうだ”とラベリングする方が、

楽だからね。脳みそは自然とそうしてしまうんだろうね。



自分の決めつけに気がついたら、

世界を広げるチャンスだね。



つぃえみ。