ついにきた。

40歳の誕生日爆笑

マジでくるんすねぇー、40代って。笑。



で、改めて思うわけです。

「産んでくれてありがとう」って、

私は生まれてこのかた、

思ったことがあっただろうかと。



そりゃ私だって

分かりますよ、

分かりますよ。



この地球に生を受けて、

親が一生懸命育ててくれて、



ありがとう


という理想的で、

感動の定型文的な感じはね。



でね、

私、四十の誕生日を迎える直前に、初めてこの感じが体感できたのですよ。



あ、そっか。と。

今の自分が幸せでないと、

自分が今の自分を受け入れて、

許せていないと、

今の自分に満足というか、

これでもいいんだって思えてないと、



産み育ててくれた人に、

本当の感謝は生まれないんだなと。



何、勝手に産んでくれてんだよ。

おかげで今世でどらえくキツい人生送ってますわ魂が抜ける生きる価値とか、見出せないんすわ。



なんてなっていたら、

感謝なんて生まれっこない。。



マジで世の中の、

理想的定型文。



心を込めて入れるのはさ、

自分が自分の幸せを噛み締めてる時だわ。



私は経験ないけど、

きっと結婚式で両親に宛てた手紙が感動的なのは、この上ない幸せをその時に噛み締めてるタイミングだからなんだろうね。



だからね、

自分が「自分として生きる」ことを

幸せだと思えることが、

きっと本当の親孝行なんだろうね。



私を産んでくれてありがとう。と。



両親だってさ、

自分の人生の半分くらいの労力をかけて、

産み、育ててるわけで、



私を産んでくれてありがとう。

なんて言葉を本気で言われたら、

これまでの人生どんなことがあろうと、

全てマル!オールオッケーになる。



やっぱり、

子供の幸せというのは、

産み育てた人の幸せなんだろうね。



四十になり、

やっと心を込めて言えそうな私。



笑っちゃうけど、

それが現実なんだ。



親のいない(人から生まれない)人は、この世にいないわけで、自分が100歳だろうが、親がもうこの世にいなくたって、一生涯、私たちは誰かの子供。



幸せの連鎖というのは、

そうやって自分より古い世代へと

遡ってくこともあるんだな。



次世代へ繋がるものかと思ってたわ。



自分が

今の自分で生きることを

幸せだと思える。



どうやら、

本気でそれが

人生の最優先事項のようだ。



中にはさ、

親の人生を絶対肯定したくなくて、自分の幸せを潜在的に拒んでいる場合もある。



自分が

今の自分でオッケーで、

自分の人生を幸せなものに

感じられたら、



その人を産み、

育てた人を肯定することになるから、



そんなのダメ。絶対。

幸せになんてなってやるものか!

って自分の存在や幸せを許して、受け入れることを拒む場合ある。



それは無意識的な域だからさ、

そのカラクリに気付きにくい。



どちらかってのは、

多分難しい。



自分が幸せなのに、

両親を許せないとか、



逆に、

自分が今の自分を受け入れても、

許しても、愛してもいないくせに、

両親への感謝とかもね。



そこが今まで理解できてなかったから。



ところで、

私の母は40の時、

すでに兄19歳、私17歳。



我が子はまだ9歳。



子育てのカオス、

バリバリの反抗期はもう過ぎてたのか。

若いのに、頑張ったんだなぁ。



兄はわりかしまともだけも、

私は結構問題児だったからなぁww

…他人事みたいだけど。



そんなわけで、

四十、

シジュー、

になり、




産んでくれた母と、

育ててくれた両親に、

ありがとうと思いました。



つぃえみ。