「ありがたいなァー」に目を向ける。
小3の息子は、昨夜と今夜の連日、お友達のおじいちゃんとおばあちゃんに近くの温泉に連れて行ってもらって、すごく楽しそうだ。
親子ともに仲良くしてもらってる
家族とはいえ、
遠慮の心が生まれる。
送り迎えもしてもらって、
更にお風呂代やジュース代まで
「いいよ」なんてお世話になって…
申し訳ないなぁ。
どうやってお礼しようかな。
…恐怖。
・
・
・
なんて考えが、
まず私の脳内をかけ巡る。
私の母の考えは、
できるだけ人さまに迷惑をかけないように、人さまの手を煩わせないように(だって、面倒だから←多分これが本音)だった。
だから、
私が目立つことも、
褒められることも、
嫌で仕方なかったみたい。
やっていたバレーボールの大会も、
クロスカントリースキーの大会も、
両親が応援にくることはほぼほぼなかった。
大人しくしていてほしい。
めんどくさいことはやめてほしい。
が滲み出ていて、
それが子どもながらに寂しかった。
後々に聞いてみたら、
母には母なりの理由があり、
「それは仕方ないな…」ってなったけど。
それから、
父と祖母は自分のしたことへの見返りがないと、陰で文句を言うタイプだったから、
「面倒はかけてはいけない」
「お返しができないと陰口を言われる」
そんな母の価値観と、
父と祖母の価値観にがっしりと固められ、
いつしか、
人からの「心遣い」を
煩わしく思うようになってしまってたなと。
今回、
息子を温泉に連れて行ってもらって、私は何を感じればいいのかというと、純粋に「ありがたいなぁー」で良かったんだよね。
息子も楽しそう!
友達と会えて嬉しそう!
お風呂嫌いなのに、喜んで入ってる!
「ありがたいなぁー」
「可愛がってもらって、嬉しいなぁー」
純粋にこの二つでよかったんだよね。
「ありがたいなぁー」
「嬉しいなぁー」
そんな素直な感情でよかった。
信じられないかもしれないけれど、
「心遣い」に甘えることが、
本当に怖くて、とても勇気が要った。
だけど、
実際にやってみて
何よりも思ったことは、
湧き出る感謝を感じていなかったなんて、なんて勿体ないことをしてたんだろうってこと。
迷惑や面倒をかけないように、
お手を煩わせないように、
お返しはキチンと。
ってことに気を取られてしまって、
人間同士の関係で、
一番尊くて、温かくて、
気持ちのいい、
感謝の気持ちを感じていなかった。
おバカだなぁ…
情けないなぁ…
バカ正直に、
人の良心を信じて飛び込みたい。
これが私のやりたいこと、
私の勇気の使いどころ。
遠慮という、
受け取り拒否をやめてみる。
感謝が湧いたら、感じ切る。
きっと
もうすぐ温泉から息子が帰ってくる。
ホカホカで満足した顔をして♨️
それでいいんだよ(*^^*)
お風呂ではきっと
みんな笑顔なんだからさ。
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つぃえみ。