私のがん経験について①
前回の「私のいのちの危機は、絶好のチャンス①」の続きです。
手術の前日キャンセルと、
3か月の無治療期間は
生き地獄(笑)
四面楚歌って書きました。
その3か月間は、今までしていた抗がん剤治療を辞めていたので、体調的に言ったらそれまでよりもいい状態。
頭の毛は抜けちゃってたので、
ウィッグを被って仕事にも行っていました。
でもね、この仕事が私の中では
かなりネックだった。
保険の営業の仕事で収入も福利厚生も安定していたんだけど、どうも私には合わず、体と心が全力で拒否をする中、それを引きずって通勤してました。
2歳の息子を保育園に送って、会社に向かう途中、もう涙が止まらない止まらない体調は戻ってきていたけど、本調子なんて程遠い。そのダブルパンチで身をボロボロにしながら過ごした時期ですね。
でも、救われたのは、一緒に働く仲間が、治療をある意味放棄した私に関心がなかったってところ。んー言い方が悪いな。心配はしていてくれたんだけど、放っておいてくれた感じ。
だから、会社と自宅の往復の中では、
私の「がんの声を聴く」ことに邪魔が入らなかった。
心配してくれる家族や友達を”邪魔扱い”しているようで申し訳ない気持ちもあるのですが、この時間だけは、心配して世話を焼く人は、がんの声に耳を傾け続ける私にとって、邪魔で、敵のような存在になってました。
自分から人を遠ざけて、孤独を選ぶ。
自分で選んだ孤独とは言え、超絶不安だし、超絶苦しい。
これで手遅れになったら、ざまーみろって言われるって本気で思ってましたね。今思うとどれだけ周りの人に失礼なことかと思うんだけど、その時はもうストイックに自分と、孤独と、向き合うことしか頭になかったから。
3か月間も終わりに近づいてきた頃、私の精神ももう限界に近かったと思います。これ以上いったら、私うつになるなって思って、直観的に執着を手放した瞬間がありました。
それを機に、手術と抗がん剤、放射線治療を再開したのですが、もうね、スコーンと抜けてるわけです、私。
なんでもオッケー!なんでもやってー!やみたいな
だから、治療自体も楽しかった。
手術の翌日にね、先生が私のがん細胞の塊を目の前で見せてくれたんです。
そん時にね、「あーやっぱりー!なんて可愛いんだろう!」って、深い愛情のようなものが湧いたのを覚えています。
そ、私はね、自分のがん細胞に守られていた体感があるんです。
これは理屈では説明もできない私の中だけの感覚だと思います。一応今は私の体にはがん細胞がないってことになっていますが、今でも私の背中を押すのは、あの時に一緒に居てくれたがん細胞くんたちなのです。
がんは何て言ったの?
がんの声を聴きたいので時間を下さいって言った私に、ごもっともな質問が来ます。
でも、そんな明確な答えなんてなくてね。
ただ、もっとのびのびと、幸せに生きてほしいってことと、あなたには今とは違ったやるべきことがあるよってことだけははっきり伝わってきたんです。
その具体的な方法まではわからないから、その後私は必死になって探すわけです
それまたそれで迷走感が半端ないんですがね笑!!
それでも、一つ一つ自分に問いかけるように、
自分の深いところと一本の線が繋がるように、
生きてこれたかなと思います。
そのおかげもあって、
自分にも、他人にも、こうでなければってのは少ないかもしれません。
あ!でも、今回の恋愛ではやっちゃってるんですよ。
こうでなきゃって
いやー恋愛のがむずかしい(笑)!
でもそうやって失敗しながら、
自分と仲良しになっていけたらなって思います
今週末に、がんと生きる人の語り合い「すなっく☆みずたま」を開催します。
コロナで外出ができない今、たまにはガス抜きをしませんか?
参加者さんそれぞれが生き方や、がんとの向き合い方に気付きを得たり、見つめなおしていく場です。自分のお話も、他の方のお話も大切にしたいという方のみご参加ください。
メール gratefuldays.we@gmail.comまでご連絡ください
またはMessengerでもオッケーです
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さいとうちえみ