今まで当たり前のようにやってきたことを手放す時、そこはかとない恐怖が襲ってくる。


私は今まで、ずっと背伸びをして生きてきたんだなぁ〜と思う。

まるでさ、面接の時の履歴書を書くときみたいに、何かの試験の小論文を書くときみたいに、感心されるだろう、求められているだろう回答がさ、もう自然と思考として湧いてくる。


で、内心としては、
「こう言っておけばいいでしょ?文句ないでしょ?」
なんて思っていてさ。
この時点で自分の本音ではないことなんて、ちゃんと気付いてたはず。


それでも、誰かを不快にさせたことがなかったし、きちんとしてるねって言われることが多かったから、これが正解だと思い続けてた。


でも、今、こうやってブログを書いたり、自分の本音と向き合うようになって、今までやってたそれらのことに、すごく違和感を感じて、気持ち悪く思えてきた。


で、心から感じていることでなければ、言わない、返したいと思わなければ返事を返さないをやってみようと思って、トライし始めた。


でもさ、もう怖くて、怖くて…。
すぐにでも引き戻したい衝動に駆られたり、その怖さに耐えられなくなって、またテキトーな返事を返してしまったり。

何とも情けないんだけど、


その度に自分の中心が涙を流す。
「なんで私のことを信じてくれないの?」って。


でね、最近気がついたんだけど、

「配慮」
「愛情深い」
「優しい」
「気づかい」
「思いやり」

誰かを大切にしている意味を持つこのキーワードたちに、私、過剰に、ヒステリックに反応してる。
「あの人は気遣いのできる優しい人だからね〜」なんて、言葉を聞いたり見たりしたら、私の体はギューと固くなり、冷たくなっていく。


私は何て自分勝手でサイテーなんだと死にたい気持ちになってた。


自分の本性を直視できない。


しかもさ、自分だけじゃなくて、身近な人が不躾な(と私が思い込んでる)態度を他人に取ったときにも、私の中がすごい勢いでザワめきだす。


ものすごいウザさだゲロー


どれだけ人に失礼のないように、不躾な対応をしないように、怒らせないように…って、自分を放ったらかして、自分を罵って、生きてきたんだろう。



完全に自分不在どころじゃない。
自己虐待



もう自分に降伏するしかないよね。
だって、本当の私は、

「配慮」
「愛情深さ」
「優しさ」
「気づかい」
「思いやり」


なんて、持ち合わせてないんだもの。



気づく人は気づいてたはず。



すごく身近な人に、冷たく当たったり、
軽くあしらったり、粗末に接したりする自分と、その一歩外側では優しい自分。



そのギャップに苦しめられていたのは、
だれでもない私だなー。


何で私、こうなっちゃうの!?
サイテーだ!

って。


でも何だか謎が解けた真顔


私はもっともっと、
深く深く自分の源泉を掘り当てなきゃいかん。水の動きを掴むように、一つ一つ丁寧に手繰っていくしかない。


今まで小さな水たまりで誤魔化して満足していた分、きっと最初は淀んだ水しか出てこないんだろう。


その淀んだ水は、
私にとっても、
周りの人にとっても、
受け取りにくいはず。



身震いするほどの恐怖。
自分が滅びてしまう、
今までの信頼を失う恐怖。


その恐怖を乗り越えて、
私は私と手を繋ごうとしている。
怖いよー怖いよーって言いながら、
自分の核神へと繋がる。


どこかで期待してることもあるよ。
核神には、自他を超えた「愛」があることを。自分がそうであることを。


でも、繋がってみないことにはわからないけどね✨

優しさなんて何もないかも〜酔っ払い


さいとうちえみ