この不毛な戦いに意味があるのかな・・・

 

32歳の時に乳がんが分かって、

私は自分の「女性」という性を自覚した。

 

私は年子の兄がいて、

小さい頃から20代にかけての私は、

強烈に兄を意識していたんだよね。

 

実際には惨敗なんだけど、

勉強に、スポーツに、趣味に、

全て兄を真似しては挑んでてね。

 

それは、兄が大好きすぎるからってのもあったと思う。

 

社会人になったって、

兄にばかにされないようにって、

いつも肩ひじ張って頑張ってた。

 

 

兄が北海道で世帯を持つようになると、

その兄のような対象は、

一緒に働く男性たちだったり、

パートナーに変化した。

 

 

負けたくない理由なんてわからないんだけど、

とりあえず負けたくなかった!!

「仕事ができないくせに」

なんてさ、上から目線で見ていたこともあった。

 

 

ぜーったい可愛くないよね・・・。

怖いよね。そんな女の人。

こわい。

こわい。

こわいわ笑い泣き

 

 

で、乳がんという経験は、

はっきりと私が女性であることを自覚させた。

(男性乳がんもまれにある)

 

 

「私が、私の女性の側面を認めることができなかったんだな。どこかで責めていたんだな。」って思ってね。

 

 

確かに兄はさ、

子供ながらの意地悪してきたし、

思春期の頃は私を無視して、

汚いもののように言ったこともあったよ。

 

お互い成長の過程だから、

仕方がなかったんだよね。

 

 

でも、それだけじゃなかった。

助けてって言えば助けてくれただろうし、

たくさんの趣味も楽しそうに共有してくれた。

ドライブや釣りにだって連れてってくれたしね。

 

 

私がいつどこでどう決めたか、

そんな記憶は全然ないんだけど、

「あ~なんて不毛な戦いに挑んで来ちゃったんだろう」って、

やっと気が付いた。

 

 

今も兄の人を小ばかにする発言を聞くと、

簡単に発動するんだけど、

それでも以前とは全然違う。

 

 

今の社会ではさ、

男女平等が言われて、

男性と女性が張り合うように働いてる。

 

 

それに慣れすぎちゃってる。

でも、女性は月経があり、

ホルモンの分泌が目まぐるしく変化する。

 

 

男性と同じように動くには、

無理がある体のつくりになってる。

 

 

精神構造だって全然違うよね。

見ていて、男性の方が穏やかだなって思うもん。

そもそも、

「ヒステリー」の語源は、

古典ギリシャ語の「子宮」らしく、

女の人はヒステリックな性質を持つもんなんだよね。

 

 

その代わり、

女性には体内で生命が育めるほどの

のびのびとした創造性があると思う。

 

 

こんな全然違う生き物が、

張り合ってどうすんだ!?

 

なんかいいことあんのか?

 

 

だから、私は乳がんの経験を境に、

男性の優しさを受け取るようにしてる。

 

体の構造的にも、

男性が差し出し、

女性が受け取る。

それが表現されてるもんね。

 

 

乳がんからの5年間。

気が付いたら、

私の周りには、

男性からの優しさが溢れてた。

もちろん女性からの優しさも。

 

 

 

差し出すことばっかりに気を取られてない?

自分がやらなきゃ誰がやるの!って思ってない?

ちゃんと助けてって言えてる?

ちゃんと「こうしてほしい」って伝えられてる?

 

 

 

私も未だにすべてができてるわけじゃないんだけどさ、

もう私の女性という役割に、

降参しようって思って生きてる。

そうすることで、

思いやりの循環が始まる。

 

 

 

私も祖母との思いやりの交流が全然うまくいかなくて、

イライラしていた時期があった。

お互い頑固でね。

祖母は亡くなったけど、受け取ることの大切さを反面教師で教えてくれた。

 

誰でもさ、自分の優しさとか、

思いやりとか、愛情をちゃんと受け取ってほしいよね。

 

そしたら、淀みなく流れるもんね。

特に男女の間なんて、そうなんだろうな。

 

ただ性質が違うから、

受け取りにくい形で渡されることも多々あって、

戸惑うけどね。

 

このおふざけだって、

息子なりの愛情表現(笑)!?

息子は私の手料理よりも、おやつよりも、

私の「笑い」を喜ぶんだから。

 

さいとうちえみ