昨日は実家に泊まった。
長野県の乗鞍高原というところで、実家のある位置はだいたい標高1200㍍にあります。

さっき目が覚めたら、
外の音が自然と耳に入ってきてね。
何だか久々に、
「自然の音」を感じた。


今まで私は何の音を聞いてたんだろうチューって思うほど、


ふと我に還った感じ。

「ぴーぴーぴー」
「ピチュ ピチュ ピチュ」
「ピチ ククククー」

私なりの鳥のさえずり…笑
この音を文字で表現できる人、
スゴッ爆笑


鳥のさえずりの後ろでさ、
生き物ではない自然の「ざわめき」も聞こえてくるー。


川が近くにあるわけでもないし、
雨が降ってるわけでもない。
木とか、何かの呼吸の音なのかな?
「ゴーゴーゴー」って。
不思議な音。


ん?この音、どっか身近なところでも感じたことないか?
って思ったらさ、
手の平を耳に押し付けた時の音だ♪
「ゴーゴーゴー」って。
あれは何?
血液が流れる音なのかな?


この時間はほとんど車が通らないんだけど、たまに忘れた頃に通る。


一瞬、すべての音がかき消されるー。
で、何ごともなかったように、
また自然の音へと戻ってくー。


全然音入らなかったー笑い泣き笑い泣き笑い泣き


優劣なく存在するこの「音たち」は、ただ自然に出てくるそれぞれの自分の音が、遠慮なんていう概念をすっ飛ばして、流れ出たもの。


奏でたものっていうか、
流れ出たものなんだと思う。
奏でたって響きいいけど、
なんか意図的だもんね。


でも、この音のタレ流し(笑)?をきいていたらさ、
「あ、すべては完璧なんだなあ」って、
思わざるを得ない。


私達の聞いているもの。
見ているもの。
それは「自分たちにとって何か重要か」っていう無意識的な価値観で作られてる。

同じ環境で、
同じものを見ても、聞いても、
絶対人によって世界は違う。
だから、世界は自分で創ってるっていうんだろうね。

現実を創りだすのが私なわけではなくて、目の前の現実を自分がどう脳内に反映するかで、世界が決まる。


要は…
見るものも
聞くものも
感じる世界も
自分次第で本当は変えられる。

でも、そこではまず、
自分がどんな価値観を持っているのかを知らなきゃいかんよね…

ここがいちばん難しいけど。

こんな自然の音だけに囲まれるとさ、
他の情報から距離を取れる。
不安だったり、
恐怖だったり、
焦りだったり、
そんなんに巻き込まれて、
それが世界!みたいになる時もあるけど、


この音を聞いてたら、
「こんなに安心な世界にいたんだ」って、改めて気付くね。


情報って、
時に自然の音を一瞬でかき消す
車の音みないになっちゃうからね。


今日は自分で聞きたい音、見たいものを選ぶ日。
そんな風に決めたら、どんな風になるんだろう。

実験。
じっけん。



実験だぁー!
我が家のやんちゃ坊主「ゴボウくん」
あ、こー見えて心はとても優しいワンちゃんです笑。やんちゃすぎて、家以外の人にはなかなか理解されないけど笑い泣き





さいとうちえみ