シングルマザーというか、
母親である私にとって恋愛をすることは、後ろめたさの塊そのもの…。

「母親なのに…」って、
何かいけないことでもしているような、
汚らわしいことをしているような、
そんな気持ちを引き連れてくる。
「やめとこうかな…」
って気持ちがズドーンと落ちることもある。



でもね、彼ができて、
毎日が嬉しかったり、
悲しかったり、
笑ったり、
怒ったり、


そんな自分が最近、
愛おしくて仕方がない。
こんなにも、色んな感情持ってたんだなあーって感動してしまう。

今までも彩りがなかったわけじゃないけど、一つ一つの感情の色が濃くなった感じ。

あらゆる感情は、
どちらかが薄くなって、
どちらかが濃くなるというものではなくて、

どの感情も同時に色濃くなるんだと思った。

人間そのもの、
快な感情だけを増やして、
不快な感情を減らしていくなんて、
真理じゃない。

両方ともの存在が生々しくなる。


でも、
それを知らなかった昔の私は、
すぐにその場から逃げたくなっていたかもしれない。

でも、
両方が生々しくあっていい。
そう思えたら、急にいろいろが愛おしくなった。

でね、
罪悪感の先、
後ろめたさの先、
そこには快楽があったよ。
やっぱり真顔


「幸福や快楽」
「罪悪感、後ろめたさ」

この2つはセットなんだ。
だから、
罪悪感や後ろめたさに自分を投げ込む覚悟がなければ、
本当の幸福や快楽は感じられない。


特に私の今の恋愛において
セック☆スは、
そこを突破しないことには成立しない。



怖くて怖くて、
でも、したくてしたくて笑い泣き

で、突破する。

突破の先には、
やっぱりね、
罪悪感や後ろめたさだけじゃない
安堵や快楽があった。


でも、これも大切だと思うのだけど、
彼が幸せにしてくれるわけでも、
これから絶対幸せになるわけでも、
同じ幸せが続くわけでもない。


このことにも覚悟が必要。
その上で、願いを空に投げる。
そしてその願いに飛び込む。


今回は恋愛であったり、
セック☆スであったり、

モロに体感の経験だから、
私にとってもわかりやすい。


でも、私達が抱く願いを叶える道って、それほど違わないんじゃないかと思った。


体からの願望を、
外の世界で叶えていく。

思い返してみたら、
体からの願いは、
今まで何が何でも叶えてきた。叶えないことがありえないくらいに、罪悪感や後ろめたさ、諸々の怖さを蹴り飛ばして、叶えてきてる。



私はまだ自分自神の声を掴めているという自信があんまりなくて、
目をそらしてることもいっぱいあると思うんだけど、
「体からの願いを叶える」体感は、
今までにもたくさんあったんだと安心した。


罪悪感や後ろめたさを感じることって、
やっぱりそこに叶えたい願いが存在してるってことだよね。
目印※ってことだよね!


最近、
感情のアップダウンと、
体のシャットダウンが、
激しくて…
ブログ書くこともままならなかった。
でも、「波があって当たり前」だとわかると、おおらかになるし、
無駄に自分を責めなくなるよね。
で、こうやって体にも元気が戻ってきた時には、経験で感じたことを言葉にできる。

言葉にすることは生み出すこと。
なら、経験は妊娠、言語化は出産かウインク


余談だけど、
私この本が好きでね。特にタイトル。
「いのちのために、いのちをかけよ」


貼り付けて、
値段にビックリしたけど滝汗

この本の中でね、
産科医の吉村正先生が言ってるの。


性欲は地球の胎動だよって。
その言葉に深く感動してね。
だって、性欲もそうだけどさ、
すべての欲の根源って、
正直自分でもどこにあるか
わからないじゃん!
何で湧いてくるのか、
わからないじゃん。

それは宇宙だったり、
地球だったり、
世界だったり、

自分を超えたところで起こる
胎動なんだ
よね。


それを否定したら、
あれ?私生きる意味ある?
くらいに思うよね。


シングルマザーとか、
お金が稼げないとか、
経済的、社会的保障とか、
結婚するしないとか。


そんなのは、
いのちの根源には触れない。

私の本性は、
常識的なことを蹴散らして、
もっとギリッギリのところで
いのちを賭けたい生き物なんだ。


ハードルが高くて、
怖いけどさ、
そんな時が一番、
肉体と精神が躍動する。


安全になんて生きてけない私。
でも、それがとっても愛おしい。