病気って武器になるなって思う。

実際に私は、診断を受けたその日から、

病気という武器を使って、

社会からの防御を始めたって実感がある。

 

今でこそその実感はあるんだけど、

その時は無意識だったなー。

 

 

要はさ、いい言い訳になるわけで。

 

 

だってさ、病気だって言われたら、

周りの人はなかなか無理言えないもんね。

会社でも、

その他の付き合いでも。

 

だから、色んな事がかなり断りやすくなったよね。

1人の時間が作りやすくなった。

 

 

そもそも人付き合いが苦手というか、

無意識に相手に合わせてしまう。

笑顔で答えてしまう。

これが積み重なって、窒息している自分に気が付く。

その時にはもう結構限界でさ、

全てを放り出して、

逃げ出したいくらいまで、

自分を無視をしてしまうクセがある。

実際に逃げたことだってあるしね。

ただ、ここでも、

人に嫌われないように、

徐々に準備を進めて、

無礼のないように消えていく。

ように自分ではやってると思ってる(笑)

 

 

 

そんな私だから、病気を武器にしたんだよね。

「話しかけないで」

「放っておいて」って。

 

 

 

私の場合、

「かわいそうだね」とか

「大変だね」とか

「頑張ってるね」とか

 

そういう同情みたいなのは全然いらなくって、

たださ、人や社会と距離をとるために必要な武器だったんだ。

 

 

 

結局、病気は無言の攻撃にもなり得るんだよね。

この自覚って大事だなって思う。

 

 

だってさ、病気の人に

頼られたり、甘えられたりしたら、

絶対に答えたくなっちゃうもんね。

人は基本優しいし、

無意識下では、人を助けられないことに罪悪感を持ってるし、

自分だけが幸せになることにも罪悪感を持ってる。

たとえそれが、自分の幸せが誰かの幸せに繋がってることや、

すでに誰かを助けているという事実とかけ離れていても。

 

そこを必ず刺激しちゃうもんね。

 

 

そしてさ、病気とか障害とか、

そういった困難と思われることって、

人を神格化してしまうっていうか、

普通に生きているだけで、

褒めそやされる可能性を生むからね。

 

だから武器だって自覚が大事だなって思う。

 

 

 

 

病気による精神的・肉体的なダメージはもちろんあるし、

その武器を手にしたことによるデメリットは大きいんだけど、

そのデメリットを受け取ってでも、

強烈なまでに自分を守る盾が必要だったんだんだ。

卑怯だけど、当時の私は。

 

 

 

 

でももういいかなって思う。

そういう武器を使わなくたって、

自分の心地よさで人との距離を保っていいし、

無理に笑顔にならなくったっていいし、

1人の時間をいっぱい作っていい。

その環境で仕事をしたっていい。

 

 

 

そのために、

コツコツ丁寧に自分と向き合わなきゃいけないよね。

一足飛びにはいかない。

社会的な価値観と自分の距離を取って、

一つ一つ丁寧に、いる・いらないって判断することも大事。

それはさ、自分でやるしかないから。

で、もちろん優しい自分がいたっていい。

寂しいよーって嘆く自分だっていい。

 

 

あんなに孤独が好きって言ってても、

怖くなって、孤独から逃げ出したくなることもたくさんあるから。

 

 

 

行って、

戻って、

立ち止まって。

 

 

 

色んな自分を許しながら、

自分と世界の境界線を薄くしていきたい。

私だって、誰だって、

できるはず。

 

 

だから、

私は生き方がそのまま仕事になる

「自分ビジネス」に深く興味を惹かれたんだ。

怖さで体が縮こまり、

チャレンジができない自分もいる。

そんな自分さえも許しながら、

今の自分と生きていく「自分ビジネス」。

 

 

病気とか、

自分と社会との違和感とかを、

自分を責める材料にしてないで、

自分と社会を癒すきっかけしていきたいな。

 

 

さいとうちえみ