「職業をあえて言うなら、人間だ。」って、

大好きな岡本太郎が本の中に書いてたのを思い出した。

 

私は今の私をちゃんと捉えることができているのかって、

今日、すごい不安になってね。

 

 

それは彼と電話で仕事について話をしていたことがきっかけだったんだけど、

はっきりとこれといった職種を決めていない個人事業主という立場に、

突然、不安を覚えて足元がグラグラした。

 

 

社会に居場所ないんだなって。

思いっきりはみ出したなって。

恥ずかしい堕落者だなって。

 

分かってはいたのに、

いざ誰かに指摘されると刺さる自分がいてね。

ほんとまだまだスタートにも立ってないなって思った。

 

 

 

私の職業は〇〇です。

今までこの言葉でどれだけ自分を誤魔化してきたんだろう。

私は〇〇の母親です。

この言葉も、考えてみたら、いい隠れ蓑になってたかもな。

 

 

 

その囲われた中で「私らしさー!」なんて叫んでたけど、

結局はものすごい依存してただけだったんだよね。

 

 

 

私って何なんだ?

私ってどーゆー人間なんだ?

私は何を感じてる?

私ってどーゆーことを考えてるんだ?

私ってどんなことを喜んで、どんなことに悲しむんだ?

私ってどんなことに怒るんだ?

私ってどこに向かって生きているんだ?

私の部屋を見まわした時、

私の好きだと感じるものは何パーセントある?

私の本棚は、どんな価値観を表現してる?

私は何に情熱を感じてる?

私はどんなことを社会に提供したい?

私はどんなことに感謝を感じる?

私はどう生きていきたい?

私は何に命をかけれる?

 

 

押し殺したものが多すぎて、

不感症のように何も思い浮かばなくて、

焦る・・・。

 

 

 

ただいい人、

ただ優しい人、

ただ活発な人、

 

 

もうそんなのが嫌で飛び出したんだんだけど、

いざ飛び出してみたら、自分がすごく薄かった。

自分のこと見れてると思ってたけど、全然見えてなかった。

 

 

自分がどんな人間かって、

日々の自分を丁寧にみていかないと本当にわからない。

油断すると、すぐ自分じゃない人の目ばかりを気にしたり、胡麻化したりする。

 

 

だからさ、

誰かに対して、パフォーマンス的な反応も結構していて、

この時こそはかなり自分をがっかりさせてるな・・って悲しくなる。

 

 

 

私がたとえ特定の職業を持たないとしても、

私の職業は人間ですって言えること。

 

岡本太郎が何で好きかって、

自分のすべてを世界に提供していたから。

心から血が噴き出すほどに、挑んでいたしね。

 

自分のパッションを、

時に絵で、

時に彫刻で、

時に書で、

時に文章で、

時に言葉で、

世界に生み出した人。

どんなに叩かれようが、

自分の中から湧き出るものを真っすぐに、

世界に表現した人だから。

 

それがいずれお金としても、循環し始めたんだ。

もちろんかなり苦労したことだってあっただろうけど、

純粋なものを貫いてきていた。

 

 

今、私が取り組み始めてる自分ビジネスも同じ。

 

自分の中から湧き出るものが、

お金を生み、豊かさを生む仕組み。

これは芸術に限ったことではなくね。

有形、無形問わない。

 

 

それには、とにかく、

とことん自分と、自分の孤独と、自分の闇や明るさを向き合わなくちゃいけない。

 

 

ここまで書いてやっと胸のざわつきが落ち着いてきた。

職業でとやかく悩んでいる場合じゃなかったんだ、私。

 

 

時間がかかってもいい。

心が痛がってもいい。

私がただの人間として、お金を生み出せるようになるんだよ。

 

もしさ、ひとりひとりの人間の存在が、

そんな風に色濃くなれば、

奪い合いではなくて、生み出し合いになって、

もっと世界は豊かになるはずだよね。

 

 

さいとうちえみ

 

 

 

 

 

そうそう、ずっとさ、

他者との比較?というか

他者がこうだから私はこう、みたいな見かたが多かった。