「死んでも死にきれません」

 

抗がん剤や手術、放射線などのがん治療を受けながら、

私は大手保険会社での仕事を続けた。

 

会社の営業方法に違和感しかなかったけど、

その自分の違和感を無視しながら、

やらねば・・・で何とかやってきた。

 

がんが分かってから、

本当はすぐに辞めたかった。

 

「辞めさせてください」って

お願いしたこともあったけど、

 

自分が世間知らずなんだ。

わがままなんだ。

と上司の説得を罪悪感と共に、

自分の中に取り込んでいた。

 

息子を保育園に預け、

会社に向かう車の中、

治療の副作用に疲弊している体を抱えながら、

私は毎日、

ワンワン泣いた。

職場のエレベーターの前で、

吐き気すら感じていた。

 

 

なのにさ、

職場に入るといつもと変わらない私が言う

「おはようございます!」

と、明るい声で。

 

 

毎日、お客さんを騙して保険を売っているって

罪悪感しかなかった・・・

契約が取れても、

ノルマを達成できても、

全く嬉しくなかった。

 

そんな気持ちだから、

どんどん自分を汚してく気がした。

 

 

治療の副作用で

気持ちよく動かない体を引きずって、

仕事に行く日々が1年半続いて、

 

 

限界が訪れた。

 

 

 

「死んでも死にきれません」

 

 

 

 

「死んでも死にきれません」

 

 

 

その言葉しか出なかった。

保険会社の営業をずっとしてきた上司は、

本当に説得が上手。

でも、今回ばかりは、

「その言葉を聞いたら、もう引き止められないね。」

ってスッと受け取ってくれた。

 

 

 

私はこのまま私を死なせるわけにいかないんだ。

全ては3年半前のこの日から始まった。

 

 

私が私の人生の期待に応えるには、

どうすればいいの?

 

何かをしなければいけないのはわかる。

でもね、その時は疲弊しすぎて、

動く体力も気力も残ってなかった。

 

 

ただただボーっとしてしまう日々に焦りを感じながら、でもどうにもできずにいた。

 

 

「あれ?もっと開放されて、やりたいことをどんどんできるはずだったのに・・」

思考が言う。

 

 

でもね、

立ち上がるのには、

エネルギーを充電する必要があった。

 

 

心の楽より、

体の楽を選ぶ。

 

 

極端なところまでいかないと、

私は体の楽を選んであげることができなかった。

 

 

 

働かない日々が続いた。

でも、ちゃんとムクムクと動き出したい衝動が湧き出てくることを知った。

これが、自分の波を知ることなんだ。

必ず動き出せる自分がいることを、

体感を持って実感した。

 

 

休む状態を自分が否定しなければ、

もっと早く回復できたかもしれないけど、

今になってみると、

これもこれで、大切な学びだった。

 

 

「死んでも死にきれない」

私の魂の叫び。

新しい私の産声。

 

 

それを叶える第一歩は、

自分を、体を、

休ませることだった。

 

みんな、

体の楽を選ぶことは怖いよね。

 

休みたいけど、迷惑が掛けちゃうから休めない。

頑張ってる人がいるのに、このぐらいで休めない。

休んでいたら、居場所がなくなる。

休むって伝えにくい。

ずる休みだった思われるのが、嫌。

 

 

そんな風に、

罪悪感にまみれて、

本当の意味で体の楽を選ぶって難しいんだよね。

これはやってみないとわからない。

 

 

でもね、

自分の体と心が本来の力を取り戻すまで休んだとしても、殺されることなんてないし、のたれ死ぬことだってない。

 

 

ただ自分の中の罪悪感に殺されそうになるだけ。

他の誰からでもないよ。

自分の中の価値観からくる罪悪感。

 

意外にも世界は優しいのだ。

 

 

大丈夫。

私も日々、

罪悪感や自分の無力感を感じながら、

必要のない価値観を手放しながら、

本当に自分が生きたいと思える自分なりの世界を構築している途中。

 

途中。

そう、途中。

まだまだずっと途中かもしれない。

 

 

でもね、3年前の私が言った

「死んでも死にきれない」

という絶望の世界の途中ではないんだ。

 

 

たとえ死んだとしても、

その続きがどこかに、だれかに、

伸びていると分かる。

 

 

だからね。

安心。

 

 

さいとうちえみ。