私は最近やけに母の味方をする。

 

父に責められる母を見て、

私の息子である孫に冷たくされている母を見て。

「そーゆーこと母に言わないで!」

と瞬間的に母を守ろうとする。

 

 

これは何だろう・・・

母がかわいそうだから?

母を信頼してない?

ん~何とも違う気がする。

 

 

ひどい扱いを受ける母に怒りすら覚えて、

母が汚されると、子供である私も汚されたような気持ちになるからかもしれない。

 

前はこんな風に感じることはなかった。

 

私はどこまで母に依存しているんだろうかと

不安にもなる。

 

母と言え、

一人の独立した人間で、

私とは全く別の人格で、

違う人生を歩んできている。

 

なぜそこに私の感情が揺さぶられるのか。

 

小さな頃を思い返すと、

どちらかというと寂しい顔をしている母を思い出す。

無邪気に笑ってることなんてあっただろうか。

 

で、私は結構捻くれてたから、

母や父のできそうもないことをいっぱいやり始めた。

 

勉強せずに志望校に受かったり、

急に海外移住を決めてみたり、

福祉の仕事についてみたり、

乳がんを経験してみたり、

大勢の前で話をしたり、

ドキュメンタリー映画に出演してみたり、

婚外出産してみたり、

シングルマザーとして生きてみたり。

 

 

「どーだ!どーだ!あなたたちよりすごいんだよ!」

は、は、は、恥ずかしすぎる・・・。

とでも言わんばかりに、社会に向けた私を作り上げてきたんだ。

 

 

でもやればやるほど、

本来の私とは乖離していったし、

苦しさが伴った。

 

どーしてそんなことになったのか。

元を辿ったら、

「やっぱり母に褒められたかったんだ・・・」

って思ってね。

社会的に認められることをやれば、褒めやすいじゃん。

周りの人が褒めてくれるようなことすれば、もっと褒めやすいじゃん。

病気になっても頑張って生きてたら、偉いねって言いやすいじゃん。

 

 

でも、でも、でも、

母はね、

ほぼ一度も私のそーいう姿を見て喜ばなかったし、

むしろめんどくさい顔、辱められているような顔を見せた。

そのたびに落ち込みまくって、

また違うことにチャレンジする・・・の繰り返し。

 

で、ついこの間聞いてみたんだ。母に。

「私が褒められたりさ、目立ったりするとき、お母さんはうれしいとかなかったの?」と。

その答えが驚愕で!

 

 

 

 

 

 

 

「めんどくさかった」

 

 

 

「めんどくさかった」

 

 

 

「めんどくさかった」って笑い泣き

 

 

 

うそでしょー!!

確かに言ってた「あーめんどくさっ」って。

 

笑えるけど、笑えないわニヤニヤ

 

 

私の世界は、母の目を通した世界だったんだよね。

それをさ、

「見て!見て!」って母に見せてさ。

うっとーしいわー!!

ってなるよね。そりゃ。

 

でも話の中で、

「お母さんはいつもさみしそうな顔をしてる」って言ったらさ、

母も泣いちゃうんだよ。

 

 

もう心の底から叫んだよね!

だったら、

さっさと幸せになってくれー!!

そのエセ不幸仮面を外してくれーって!!

 

なるほど・・・。

人はそれぞれの世界で生きてるっていうけどさ、

本当にそうだわ。

介入しているようでいて、

そこにはその人独自の世界が存在する。

 

だとしたら、

自分から見る世界をよりよくするしかないじゃん。

究極、人はそれしかできないんだ。

 

それにしても、

30数年間せっせとやってきたことの答え合わせ?が

「めんどくさい」

のひとことで終わるって、

人生は面白すぎるよね。

 

今までやってきたことだって、

ウソなわけじゃない。

その中でも、

心が躍動したり、

ファイトが出たり、

怖さを克服するチャレンジだったり、

想像するだけでワクワクしたり、

を選んできたし、

やっぱりそうでないと

パワーなんてでないからね。

 

でも、その根本にある「願い」を

もう変えてもいいってこと。

もっと純粋な自分の「願い」に

変えてもいいってこと。

さいとう ちえみ