がんの告知を受ける約2ヶ月前、私は再就職をしたばかりだった。

というのも2歳の息子と二人暮しになる時、やはり働く先、それも子育てをしながら働けて、より給与の良いところで働く必要があった。それで選んだのが大手の保険会社の仕事だったのだ。

最初の数カ月は、勉強と資格取得の毎日。正直なところ、勉強と資格取得は難なくできたし、あまり苦労はなかった。

そんなある日、動画を見て学ぶ時間にふと自分の胸に触れたら、何かがそこにあった。母乳をあげてた頃に時々できていたしこりかと思い、あまり気にもとめなかったが、会社でふと話してみたら、「絶対調べた方がいい!」と言われ、紹介されたレディースクリニックへ行くことに。

針で細胞を取り、調べてもらう。

「結果は10日ほどででますので、何かあれば電話します。なければ郵送でお送りします。」と。

あまり気にせず過ごしていたが、一週間ほど経って電話がなった。
もう一度クリニックに足を運び、話を聞き、治療ができる大きな病院に繋げてもらうこととなった。

「助かった!これで逃げれる!」

結果を聞いたとき、私の心の奥底から湧き出てきた声。

マジメに取り組み、仕事で与えられた課題はクリアできていたし、何とかやって行けるかもしれないと思っていたのは、表の私だった。

本音は「逃げたい」だったのだ。
だから私はがんの告知を受けた時、「助けに来てくれたんだ」と本気で思った。

命とがんとギリギリの状態で向き合う方々にふざけるな!!と言われても仕方がないけれど、これが自分の内から湧き出てきた声だったので、私も歪めようがない。

逃げたかった自分には理由が必要だったのだ。

結局、その職場を去るまで約2年間かかった。その間に休み休みではあったものの仕事とがん治療、育児を両立させた。

させた。そう、自分にそうさせたのだ。

私はその時の状況を一言で言える。

「サイドブレーキを引いた状態でアクセルを全開にしている。しかも笑顔で」

サイドブレーキにあたるものは、私の本音。その仕事に対する私の価値観。アクセルにあたるのは、社会人としての常識や責任感。

がんがわかった時に、「よし、逃げられる!」と思ったのに、怖くて逃げられなかったのだ。

いい人の顔をして。
頑張ってる顔をして。

でも今思う。
がんからのメッセージ=本音には、耳を傾け続けていた。
諦めてなかったんだ、私。

そして、2年後その仕事を手放した。
でも、何も意欲が沸かない。
色々なものが徐々に輝きを失っていたのだと思う。
まずは心と体のエネルギーを回復させる必要があった。

がんが分かってからの2年間は世に言う

「どん底」

だったのかもしれない。
でもこれほど神聖な経験はあまりないと私は思っている。

命をかけているのだから。

あの頃の私の傍に今の私がいて、エスコートしていたのかもしれない。

「大丈夫だよ。宝物になるよ。」って。

読んで下さってありがとう。

chiemi☆igi