5年前、乳がん手術の前日に病院に電話をかけた私。
「あの〜明日、手術をする予定の斉藤と申しますが、キャンセルをお願いしたいのですが〜」
電話口から感じる看護師さんたちのざわめき。
その後のことはあまり覚えてないけど、翌日、手術を受ける予定だった時間に主治医の先生と担当の看護師さん、両親を含めた5人での話し合いがあった。
もちろん優しく説得を試みる主治医の女医先生。それを心配そうに見つめる看護師さんと両親。
そこで私の口から出たのは、
「がんの声をもっとしっかり聴きたいのです。せっかく何か伝えにきてくれたのに、受け取らずに切り取るなんて可愛そう。」
診察室の凍りついた空気。
がんを治したいという共有している目標は変わらない。でも明らかに論点が違った。
決して折れない私に、先生は渋々3ヶ月の猶予を下さった。
話し合いの締めくくりに、先生は言った。
「スッキリしているのは斉藤さんだけだからね。」
確かに笑っているのは私だけだった。
結局、3ヵ月後には手術を受けることになったが、そこまでに至る時間は、本当に孤独なレース。五感を超えたところで聴く「がんの声」。掴みどころのなさと時間の経過に焦りもあった。しかしそこから得ていったのは、大きな納得感と信頼感であった。
手術をキャンセルしたり、現代の医療を否定することには真実はない。
そこに向き合う姿勢にこそ生きる真実があるのだと思う。
「がんの声」は悲しみも苦しみも、喜びも希望も内包している。それを実感できることは、本当の意味での安心。
5年前の一生懸命な自分に拍手を。
Chiemi☆igi