一年前の今日たくさんの命が奪われました。
自然の脅威です。
一年前の今日私はタメのイトコと凰雅とイトコの子供(凰雅とタメ)とランチをしにイオンにいました。
私は真宝ちゃん妊娠中でした。
7ヶ月でした。
突然の揺れ、ものすごい揺れ、
立っていることもままらなくなり
今までやった防災訓練のことなど頭から飛び、その場に立ち尽くしました。
前にいた方が机の下にもぐったので
そうか!!!
と思い凰雅とsちゃんを奥に、
私とイトコは手前に身を隠しました。
ほこりがものすごく辺り一面灰が舞っているように前が見えないほどでした。
私はマスクをしていたのでハンカチで凰雅の鼻と口にあてました。
しばらくするとまた激しい揺れ。
マクドナルドの店員さんの誘導で
非常階段を降り外へ避難しました。
2階にある立体駐車場に車を停めてきたため上着は着ておらずとても寒かったのを覚えています。
いつになっても余震はおさまらず…
こんな大変なことになっているとは知らず早く中に入ってランチしたい。
としか思っていませんでした。。
外にいる間、家族(母と旦那)に電話やメールをしますが全く繋がらずネットで震源地や震度を知り驚きました。
イオンが臨時閉店すると聞き慌てて中へ。もぅ誰も残っていなくて警備員の誘導で中へ入り非常用のドアを空けてもらいました。
その間イトコは寒空の中子供たちをみていました。
エスカレーターもとまり妊娠してることに気付いていない警備員は走れ!走れ!急げ!急げ!とせかす……
腹は張り息はきれやばかった~
今までいたイオンの中は水びたしで
ほこりまみれであり得ない場所になっていた。
立体駐車場に着き残っている車は私の車だけ!
エンジンをかけ子供たちの元へ!
エアコンをかけテレビをかけ
子供たちを乗せお腹すいた~
とゆうので、私の車の中にはあちこちにお菓子がおいてあり皆で食べました。
このお菓子でいつも旦那に片付けろ!と言われるけど、私エライ!と思いました。
家に帰ろうということになり車を走らせましたが全然進まず道に出られたのは約2時間後で信号は消え全部の灯りが消えていました。
信号の代わりに警察官やおじさんが手信号で誘導。
イトコの親が経営する会社がイオンから一番近いので、とりあえず会社に向かいました。
会社に着くと皆、普通に仕事していてイオンでみた光景、灯りが消えた光景もなく、あれっ?良かった~^^
とほっとしました。
このときも、まだ家族とは連絡とれず。。
会社にかかってきた電話がイトコの親からでした。イトコの親は私の母の妹で母の実家に皆いるとのこと。
ちなみに旦那も実家にいると…
私に電話が繋がらず心配で心配で
早退して家に戻るもいなくて
実家にきたそうです。
そんなこともつゆしらず
会社でワーイ《*≧∀≦》と遊んでいて帰りは7時頃…
イトコも乗せ会社をでて20分ほど走ると市役所を境に辺りは真っ暗で信号も消え、コンビニも消え、真っ暗。
訳もわからず実家へ向かいました。
灯りが無くなると、とても怖くて
急に不安になってしまいました。。
駐車場に車を停めると今か今かと帰りを待ちわびていた祖母が外にいて私たちを見るなり家に駆け込み
『帰ってきたーーーー!!まなとちーが帰ってきたーーーー!!』
と叫んでいました。
さっきまでの会社のような雰囲気はなく緊迫していて遊んでいた自分に反省しました。
実家に入るとランタンと石油ストーブだけついていて皆の顔がボーっと見えるくらいで旦那がいませんでした。
旦那はコンビニの公衆電話で会社にかけていたようです。
公衆電話だけ唯一使えて無料だったとか。
旦那は帰ってくりなり心配したぶん
すごく怒ってました。
私だって連絡してたけど繋がらなかったんだもん!って言ったけど…
本当に心配したみたいです。
ごめんなさい。
その後、家に帰る組と実家に残る組に別れました。
旦那が一度自宅に戻ったとき
うちの方の道が陥没していて通行止めだったと。
イトコにお願いして泊めてもらうことになりました。
イトコのうちは西の外れの方で私の家は北の外れ。
なぜか西方面は電気がとまっていなくて温かいご飯を戴くことができました。
その日初めてのご飯。
とっても美味しかった。
旦那は夜中車にガソリンをいれに行くとリッター制限があり、あまり入れてもらえなくて何件かハシゴしたと言っていました。
バカ~(*≧∀≦*)
何て言っていたのもつかの間、
次の日から市民が皆スタンドに駆け込み4時間待ちや徹夜組がでるほどでした。
震災から2週間位ガソリンスタンドの前はやばかったです。
タンクローリーを追いかけて走る車も沢山いました。
震災の次の日には北も電気が回復し家に戻れました。
何日か後から計画停電が始まり
どんなに悲惨な震災だったかも日に日に実感し毎日見るテレビに亡くなった方の人数があり得ないほどに増えていく……
目をふさぎたくて、
祖母宅で『消して(/\)』と祖母に言ったことがありました。
すると
『ダメ。目を背けるな。見て心に刻むんだ。』
と言われました。
その通りですよね。
戦争を生き抜いた祖母。
どんなに辛くて悲しかったかも
幼い頃から耳にタコが出来るほど
聞かされました。
祖母は8人姉弟の長女で妹弟たちを育てるために小学校の頃から
『ねんきぼうこう』に行ってたそうです。
年いくらで貸し出しされるそうです。
いくら辛くても淋しくても家族を想って働いた。
と言っていました。
なので祖母は小学校へ行けなかったそうです。もちろん中学校も…
そんな祖母がとても大きく見えました
大切にしようとつくづく思いました。
今日防災グッズを積めながら
色々思い出しました。
テレビもたくさんみて
たくさん泣きました。
14:46に黙祷もしました。
私にもできることはなにか。
を考え精一杯生きていきたいです。
税金が…
消費税が10%になってもいいです。
被災者、被災地の方のためになるのなら……。
心よるご冥福を祈り申し上げます。
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自然の脅威です。
一年前の今日私はタメのイトコと凰雅とイトコの子供(凰雅とタメ)とランチをしにイオンにいました。
私は真宝ちゃん妊娠中でした。
7ヶ月でした。
突然の揺れ、ものすごい揺れ、
立っていることもままらなくなり
今までやった防災訓練のことなど頭から飛び、その場に立ち尽くしました。
前にいた方が机の下にもぐったので
そうか!!!
と思い凰雅とsちゃんを奥に、
私とイトコは手前に身を隠しました。
ほこりがものすごく辺り一面灰が舞っているように前が見えないほどでした。
私はマスクをしていたのでハンカチで凰雅の鼻と口にあてました。
しばらくするとまた激しい揺れ。
マクドナルドの店員さんの誘導で
非常階段を降り外へ避難しました。
2階にある立体駐車場に車を停めてきたため上着は着ておらずとても寒かったのを覚えています。
いつになっても余震はおさまらず…
こんな大変なことになっているとは知らず早く中に入ってランチしたい。
としか思っていませんでした。。
外にいる間、家族(母と旦那)に電話やメールをしますが全く繋がらずネットで震源地や震度を知り驚きました。
イオンが臨時閉店すると聞き慌てて中へ。もぅ誰も残っていなくて警備員の誘導で中へ入り非常用のドアを空けてもらいました。
その間イトコは寒空の中子供たちをみていました。
エスカレーターもとまり妊娠してることに気付いていない警備員は走れ!走れ!急げ!急げ!とせかす……

腹は張り息はきれやばかった~
今までいたイオンの中は水びたしで
ほこりまみれであり得ない場所になっていた。
立体駐車場に着き残っている車は私の車だけ!
エンジンをかけ子供たちの元へ!
エアコンをかけテレビをかけ
子供たちを乗せお腹すいた~
とゆうので、私の車の中にはあちこちにお菓子がおいてあり皆で食べました。
このお菓子でいつも旦那に片付けろ!と言われるけど、私エライ!と思いました。
家に帰ろうということになり車を走らせましたが全然進まず道に出られたのは約2時間後で信号は消え全部の灯りが消えていました。
信号の代わりに警察官やおじさんが手信号で誘導。
イトコの親が経営する会社がイオンから一番近いので、とりあえず会社に向かいました。
会社に着くと皆、普通に仕事していてイオンでみた光景、灯りが消えた光景もなく、あれっ?良かった~^^
とほっとしました。
このときも、まだ家族とは連絡とれず。。
会社にかかってきた電話がイトコの親からでした。イトコの親は私の母の妹で母の実家に皆いるとのこと。
ちなみに旦那も実家にいると…
私に電話が繋がらず心配で心配で
早退して家に戻るもいなくて
実家にきたそうです。
そんなこともつゆしらず
会社でワーイ《*≧∀≦》と遊んでいて帰りは7時頃…
イトコも乗せ会社をでて20分ほど走ると市役所を境に辺りは真っ暗で信号も消え、コンビニも消え、真っ暗。
訳もわからず実家へ向かいました。
灯りが無くなると、とても怖くて
急に不安になってしまいました。。
駐車場に車を停めると今か今かと帰りを待ちわびていた祖母が外にいて私たちを見るなり家に駆け込み
『帰ってきたーーーー!!まなとちーが帰ってきたーーーー!!』
と叫んでいました。
さっきまでの会社のような雰囲気はなく緊迫していて遊んでいた自分に反省しました。
実家に入るとランタンと石油ストーブだけついていて皆の顔がボーっと見えるくらいで旦那がいませんでした。
旦那はコンビニの公衆電話で会社にかけていたようです。
公衆電話だけ唯一使えて無料だったとか。
旦那は帰ってくりなり心配したぶん
すごく怒ってました。
私だって連絡してたけど繋がらなかったんだもん!って言ったけど…
本当に心配したみたいです。
ごめんなさい。
その後、家に帰る組と実家に残る組に別れました。
旦那が一度自宅に戻ったとき
うちの方の道が陥没していて通行止めだったと。
イトコにお願いして泊めてもらうことになりました。
イトコのうちは西の外れの方で私の家は北の外れ。
なぜか西方面は電気がとまっていなくて温かいご飯を戴くことができました。
その日初めてのご飯。
とっても美味しかった。
旦那は夜中車にガソリンをいれに行くとリッター制限があり、あまり入れてもらえなくて何件かハシゴしたと言っていました。
バカ~(*≧∀≦*)
何て言っていたのもつかの間、
次の日から市民が皆スタンドに駆け込み4時間待ちや徹夜組がでるほどでした。
震災から2週間位ガソリンスタンドの前はやばかったです。
タンクローリーを追いかけて走る車も沢山いました。
震災の次の日には北も電気が回復し家に戻れました。
何日か後から計画停電が始まり
どんなに悲惨な震災だったかも日に日に実感し毎日見るテレビに亡くなった方の人数があり得ないほどに増えていく……
目をふさぎたくて、
祖母宅で『消して(/\)』と祖母に言ったことがありました。
すると
『ダメ。目を背けるな。見て心に刻むんだ。』
と言われました。
その通りですよね。
戦争を生き抜いた祖母。
どんなに辛くて悲しかったかも
幼い頃から耳にタコが出来るほど
聞かされました。
祖母は8人姉弟の長女で妹弟たちを育てるために小学校の頃から
『ねんきぼうこう』に行ってたそうです。
年いくらで貸し出しされるそうです。
いくら辛くても淋しくても家族を想って働いた。
と言っていました。
なので祖母は小学校へ行けなかったそうです。もちろん中学校も…
そんな祖母がとても大きく見えました
大切にしようとつくづく思いました。
今日防災グッズを積めながら
色々思い出しました。
テレビもたくさんみて
たくさん泣きました。
14:46に黙祷もしました。
私にもできることはなにか。
を考え精一杯生きていきたいです。
税金が…
消費税が10%になってもいいです。
被災者、被災地の方のためになるのなら……。
心よるご冥福を祈り申し上げます。
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