2016年1月26日 東京
1000人講演会に向けて、
松原靖樹氏がコラム千本ノック中
私と一緒に少しずつ読んでいこー
今日も10コラム。どぞ

【千式】感性でも理解する 0131
言語化できない感覚的なことも理解する必要がある。直感などの感性も共感ではなく理解のために使う。よく間違われることだが、こういう力は自分の精神力が鍛えられているかどうか、学びが深いかどうかによって決まる。
つまり、心が負荷や充足などの様々な経験を積んでおり、実地の様々な経験を通じて学びを得ている者であれば、人の心と自分の心を一致させやすい。現実のケースがなくわからないことだらけなのに、相手を理解することはできない。直感力の問題ではない。
映画や小説も観て読みまくっているベースがなくてはならない。人間を知らなければ感性で人を理解はできない。
つまり、心が負荷や充足などの様々な経験を積んでおり、実地の様々な経験を通じて学びを得ている者であれば、人の心と自分の心を一致させやすい。現実のケースがなくわからないことだらけなのに、相手を理解することはできない。直感力の問題ではない。
映画や小説も観て読みまくっているベースがなくてはならない。人間を知らなければ感性で人を理解はできない。
【千式】感情に精通している 0132
感情は単なるセンサーでしかないが、人の状態をいいようにも悪いようにも扱う。相手の感情がどのような時に、なぜ発生するのか、結果どうなるのかを知っておかなければ人を理解できない。
同じように相手の五感感覚の程度を知らなければ相手を理解できない。濃い味を好んで食べる人は味覚が鈍る。味覚が鈍った世界では何がどのようにつながり、どうなるのか理解しなければならない。
相手を知るには感情と感覚に踏み込まなければならない。
相手を知るには感情と感覚に踏み込まなければならない。
【千式】長い理解 0133
相手を理解するのに、必ず「長い理解」がある。長く一緒にいなければ知ろうにも知れないことがある。つまり能力で相手を理解することはできない。心から相手を理解しようと思うなら長く一緒にいなければならない。
逆に長く一緒にいるとよく見えるところが大きな理解になり、見えないところがないことになる。理解が不十分になる。目に見えやすいものが相手ではない。惑わされると理解を誤る。ひいては人間関係を誤る。
【千式】核心の理解 0134
相手のほぼすべての行動、思考、感情の起点、基準になっているものを理解しなければならない。相手の核心中の核心になる。どのようなときに核心がゆらいだり、ブレるのかということも理解する。
核心を理解するということは最も深い理解をするということになる。だからといって、核心理解でその人を理解したことにはならない。核心が通用しないことや、核心よりも深いものを理解する必要がある。【千式】実績に惑わされない 0135
実績や行動、成果に惑わされると理解を誤る。相手は「自分が理解してほしいこと」がある。それを満たすために行動し結果を出し続けていることがある。理解には値しない。
理解してほしいことは、理解されないと思っていることであり、認められないと決めていることになる。・・・そういう相手を理解しなければならない。もちろんそれが人生の歩みを曲げたり遅くしている原因であることも理解しなければならない。修正は必要ない。
【千式】自分のために理解する 0136
相手を根本的に理解する。そのために自分を使う。相手と仲良くなるために理解するのではない。
相手を理解してもそれが正確であればあるほど、相手からすると見たくない自分かもしれない。正当なことを言われると反射的に否定するように、正しい理解は嫌われたり、避けられる理由になり得る。
正しい理解は自分のために行う。自分が自分として生きるために、どの正しい理解の人とやっていくことができるかを知る必要がある。
正しい理解は自分のために行う。自分が自分として生きるために、どの正しい理解の人とやっていくことができるかを知る必要がある。
【千式】自分を理解させる 0137
自分が人を理解できる人間なのであれば、同時に人から理解されなければならない。正しく自分を知られなければならない。でなければ成り立たない。説明したり知ってもらうために努力しなくていい。むしろしてはならない。
相手が自ら自分を知ろうと心から聞いてくる、という人と関係を築かなければならない。さらに、その中でもより正しく理解してくれる人を重宝しなければならない。
人間関係はそう築くべきだし、それが相性の良い人ということになる。人間関係に分かり合いや許し合いは必要ない。必要なのは理解だ。
人間関係はそう築くべきだし、それが相性の良い人ということになる。人間関係に分かり合いや許し合いは必要ない。必要なのは理解だ。
【千式】相手の理解力を見る 0138
自分への相手の理解力が大事だ。人は自分の見たいように見る。勝手にこんな人だと決めつける。そういうのは論外で相手にするまでもない。正しく理解しようとしても、相手の心が弱く、気が使えず、学び(経験)の量が少なければ、うまくは理解することができない。正しく理解できる経験値の高い人でも、自分のことを理解するのに強い分野と弱い分野がある。例えば仕事では理解してもらっているが、家庭は別の人と築いているのでさっぱり理解の対象にならない、ということがある。
どのような場合でも自分そのものに対する理解が100%に近い人を見なければならないし、誰もが100%に至るのは難しいので「いつも100%を知ろうとしている」人とより接さなくてはならない。
【千式】理解度で人を切る 0139
理解されることは当然の権利でなくてはならない。理解されるための努力というものもある。少なくとも、自分を理解するつもりがない、程度が浅い、正しく理解しない、という人を切らなければならない。理解しあえない人と付き合っているということは、理解を不要としていることに等しい。
同じように、自分が正しい理解を示したときにそれを受け入れない人と関係を続けてはならない。
理解は人数の問題ではない。正しく理解できる人が周囲に一人もいないうちは、誰とも親しくならなくて良い。自分が人を理解できるよう磨けばいい。心を強くするチャンスだと思ったほうがいい。
理解は人数の問題ではない。正しく理解できる人が周囲に一人もいないうちは、誰とも親しくならなくて良い。自分が人を理解できるよう磨けばいい。心を強くするチャンスだと思ったほうがいい。
【千式】理解「なされなければならない」 0140
理解をするには並々ならぬ努力が必要になる。自分が狭い人間だとそれだけで理解ができなくなる。心を強く気を配れるようにし、学びに力を入れ完璧(完美)を知らなければならない。しかも完璧に理解できても相手からは理解されなかったり、関係を築くまでではないことの方が多い。それでもなぜ理解するのか?というと、自分(心、気、美、学)を自分以外の者と共にうまく運ぶためだ。コミュニケーションや実績、共感は役に立たない。技術や利害、意気投合で人と心から結びつくことはできない。
理解は「なされなければならない」。
今日はここまで♡
あ、こちらも見てね
→千式は全部読もう!

松原氏の千式コラム1~500 のリンクはここから

⬇︎ ⬇︎ ⬇︎