早いものですねぇ、大震災から一ヶ月と10日ほどが過ぎてしまいました。
 被災された方々は早く感じたのか、それとも短く感じたのかどうなのでしょう。

 再びお友達の皆様と繋がりたくて、PCに向かっています。
 先日は真夏日を記録した土地もあれば、東北地方は雪が積もったり、ひょうが降ったりして、自然は私たちに過酷です。


 時間の経過と共に主人の親類は数人亡くなってしまったことが判明しました。そして友人もかなり亡くなったようです。(電話を泣きながら掛けてくる友人たちに主人はなだめるのに大変そうです。)
 無情なようですが悲しんでばかりはいられません。私たちには日々の生活があります。


 三月下旬次男が中学を卒業し、四月には高校生になりました。 震災の影響で計画停電の為暖房も使えず、病気の私には少し辛い式典でした。(電車も暖房も切れて、駅の長いエスカレーターは止まっています。)

 式が始まる前に全員で黙祷をしたのですが、私は脳の病気の為途中でクラクラとし倒れそうになりました。
 仕方なく頭をたれて目を開けました。入学式も怖いので同様に目を開けたまま黙祷を致しました。


 涙腺の弱い私は、周りの親御さんに気づかれないように涙をぬぐって式の進行を見守りました。
 なぜなら次男が一歳二ヶ月の時に最初の子宮頸がんを発症し、肺がん、脳腫瘍と入院や手術と治療の繰り返しで今までを生きてきたので、無事義務教育を終わらせた事に嬉しくて感動してしまったからだと思います。この式典に参列できて本当に良かったと思います。


 良いことばかりではありませんでした。3月28日に義母が亡くなりました。88歳でした。
 二年程前より気仙沼から千葉の兄夫婦の家で暮らしており、老衰でした。

 主人を始め4人の子供たちは親孝行でいつも「かあちゃん、かあちゃん。」と嫁の私は羨ましいほど。。。
 孫も9人おり(1人だけ女子)、男子二人は袈裟を着て坊さんの兄とお経を読み、他の6人の男子の孫たちは義母の棺を持ち霊柩車に運びました。
 可笑しな話ですが、主人は我が家の息子たちも含め可愛がってもらったおばあちゃんの為に仙台や埼玉などから千葉にかけつけた孫のことが誇らしく思えたようです。
 
 義母は12人兄弟姉妹の一番うえで「ねえちゃん、ねえちゃん。」と愛され慕われていました。
 とうとう健在なおじ、おばは5人だけになってしまいましたが、よきお葬式ができました。 

 余談ですが、俳優の中村雅俊さんの母親とは石巻の女学校時代の友人でよく温泉に出かけていたそうです。

 今頃は三年前に亡くなった義父や母の兄弟そして、震災で亡くなったであろう友人や親戚の人々と語りあっているのかな。。。