こんばんは😃🌃ちいこです🍁

 今日、無事パートナーさん主催のイベント

 終了いたしました🙏

 絵付け体験いただいた皆様、

 ありがとうございました🙏❣️✨
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世の中というのは矛盾に満ちている。

矛盾という言葉はあまりいい意味では使われない。

矛盾してると言われたら大抵の人がいい感情は抱かないだろう。

しかし、それもまたひとつの洗脳だ。

コントロールしやすくするための。

生きるとか世界とかそういったものは矛盾が生じるようにできているのに、人間の都合で矛盾があることはいけないというレッテルを張られているに過ぎない。

 

 

 

非常によく耳にするものとしては「何を信じたらいいのかわからない」という言葉だ。

そうだ、みんなもっともらしいことを言うし態度も語調も強いのでなんだか正しいことを言っている風に見える。

だから自信がなかったり気が弱かったり繊細だったりすると迷いが生じる。

一体何が本当なんだ?と。

 

 

 

そりゃもちろんいつもの答えで「自分を信じなさい」という言葉になってくるのは当然なのだが。

これは確かにそうだ。

だから自分を信じているという感じだったらその道を突き進め、って感じである。

とは言え、自分のことは信じているがだからって強い人に対抗できるほどの何かがあるわけでもない、みたいな人も多いだろう。

もしくは、何を持って自分を信じるというのかよくわからない、とか。

わかる。

日々の意識も感情もよほどの訓練や修行をしていない限りなかなかのカオスだ。

24時間ひとつの信念のことしか考えていないなんて人はいない。

迷う気持ちはよくわかる。

 

ところで、「正しい」という言葉にはその前提があることを知っておく必要がある。

正しいと間違っているという言葉が出る以上、その前提となる「場」が必ず存在する。

「場なき正誤は存在しない」

そう心得ること。

 

 

 

例えば、「遊ぶのが仕事だ」という言葉はこのままだと「????」となるが、前提に「子供は」とついたらそりゃそうだと納得する。

「すぐものを壊したり落としたりする」と聞くと「悪いヤツだ」とイメージするが「猫が」という前提がつくと「ねこちゃんじゃしょうがないねえ」と急にかわいいものを見る目になってしまう。

 

 

 

今のは身近なレベルの話だ。

これがもっと大きな話になるとどうかって話である。

小さな社会レベルの話じゃなくてさ。

そうだな、例えばフラットアースとか。

フラットアースとは地球平面説である。

地球が球体じゃないと主張するものだ。

聞いたことのない人にとってはトンデモオカルトに聞こえると思うが、長年研究している人たちがたくさんいて、科学的根拠も結構お持ちだったりする。

トンデモオカルトに聞こえたままでいい。

 

 

 

では、球体なのか?平面なのか?と聞かれたらおそらく両陣営は相手を非難する言葉をガンガン挙げて自陣営の正しさを主張するだろう。

これを読まれている方の多くはおそらく平面説に嫌悪感を示すだろうしね。

 

 

 

しかし、これもまた正しさの前提があるという基本を忘れてはならない。

両陣営はそもそも前提が違うところから正しさを主張している。

強いてやさしい言葉で言い換えるなら、「現代科学を全面支持する者」とその逆である。

これがまた若干ややこしいのだが、案外、現代科学を全面支持してないからと言って、オカルト支持でもなかったりする。

純粋に現代科学自体の矛盾や欠点を指摘している層、みたいな。

 

 

 

もうねえ、前提が異なる者同士で話し合っても意味ないんよ。

この当たり前をわかっている者は意外と少ない。

この社会で溢れかえっている。

大抵のケンカや犯罪、いざこざ、不仲、いじめは大体コレだ。

つか戦争自体もコレだ。

前提が違う者同士が正しさをぶつけ合う。

意味ねえんだわ。

どっちも正しいさ、その前提においては。

 

 

 

そして、全員が間違っていることがある。

矛盾は成立する、ということだ。

大半は矛盾を成立しないと思い込んでいるが、それはまさに現代科学の弊害だろう。

現代科学に冒された思考だと、半自動的に脳内で3Dか2Dで思考は展開される。

一か所にひとつのものしか存在しない、というニュアンスだ。

仮に1丁目1番地というところに1件家が建っていたら、もうそこには他の家は存在しない、みたいな感じだ。

 

 


ところがだなあ。

4D以上になっていくとありえるようになってしまう。

物理以上の存在を範囲に入れるからだ。

物理が主ではない空間の捉え方である。

まあここでは長くなるので割愛だが、少なくとも、実際は矛盾は成立するものだということだけ知っておくといい。

意識は物理的なものではない、これは誰でもわかるだろう。

体は3D空間由来だが、意識は4D以上由来である。

これだけですでに我々が二元以上の存在であることがわかるだろう。

基盤になるものが同じ場所に同時に存在するという矛盾に似たニュアンスがなんとなくわかるだろうか。

 

 

 

難しいことはいいから、要するになんなの、って話だが。

誰かを否定するとか非難するのは、やや視点の低いものの見方だということだ。

「アレは間違いです」

「こんなことを言っている人はウソです」

そう主張するものは多いが、それは自身の前提においてはね、ってことである。

自分が一番正しいということを主張したいのだろうが、いやいや、世界というのは多次元であり矛盾が成立するのだよ。

視野を広げたまえ。

奥にはその奥があり、中にはその中がある。

前提を語ればどうせ皆正しいのだ。

クソみたいなヤツであっても。

いいじゃねえか、アレもあり、コレもありで。

 

 

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