昨今、五次元移行がどうのこうのとか、ニホンヤバイけど五次元行けば大丈夫みたいな話を耳にされる方も多いかと思うのだが。
そんなこと言われてもようわからんのやでって方も多いかと思うので具体的な話を。
題して「フツーに今まで通り生きながら五次元移行する方法」
まず大前提として、ほとんどの人が「三次元」で生きている。
社会的にフツーに生きるとそうなるので別にそれがヤバいとかマズいではない。
フツーにしようと思ったらみんなそうなるってだけだ。
これを解説すると。
自分のことを「三次元」で生きている存在だと思っていて、三次元に全部を合わせるからそうなっている、ということだ。
具体例で言うと、例えば小学一年生。
自分のことを小学一年生だと思っているから小学校のルールに合わせるし、小学校の生活時間に合わせた生き方になる。
ランドセルしょって学校行って、帰ったら宿題してゲームやって、夜9時に寝ますよと。
が、同じ7歳の子どもだったとしても、自分をジャングルの奥地で自力で生きている存在だと思ってたらこういう生活にはなんないわけだね。
学校という発想がないしランドセル知らないし宿題もないし、その代わり狩りとか水汲みとかはやるだろうね。
結局人は自分が自分をどこにいるどういう存在だと認識しているかでモノゴトが変わるのである。
人間関係から環境から目に見える現象まで全部変わるのだ。
で、この自分がどういう存在かというのは困ったことに大半が外部からの刷り込みだ。
なんとなく生きてその環境になって、なんとなく流れでそういう人として周囲に認知されていて、それがそのまま自分という存在になっているというのがほとんどなのである。
自由になる、とはこの外部から刷り込まれた自分の認識からの脱却でもある。
自分という存在の定義は実は自分で決めていいのだ。
実際、誰一人、あなたに向かって「おまえはこういうところに所属しているこういう人間だ。この通りに生きろ」なんて命令してきたことはないはずだ。
なんとなく今の状態になってます、がほとんどだろう。
この大前提を理解した上で。
次に、意識にはいくつか特徴があることを知っておかねばならん。
例えば、意識はマネージメントできる。
意識はどうにもならないものじゃない、自分でマネージメントして操作できるのだ。
難しい話じゃない。
例えば歩いていて赤信号を見たら反射的に止まる習慣がついていると思うが、猛スピードで追ってくる空腹の熊から逃げている最中だったら止まらないだろう。
それは「赤信号とか知らんわ、それどころじゃねえ!」と意識の管理ができているからである。
管理ができていないと反射のみになってしまう。
これは極端な例だが、要は意識のマネージメントとは「反射的」ではなく「意図的」の部分を自力で増やせるよってことだ。
意識の特徴、その2として。
意識はパーテーションで区切ることができ、カテゴライズすることができ、また出し入れ自由でもある。
なんかお金みたいだね、こう考えると。
お金って食費、光熱費、娯楽費とかに分けて管理できるし、その範囲ないで出し入れ自由なところもあるよね。
例えばお金が30万あるとして食費を5万に設定したとする。
しかし、毎日もやしのみを食べて2000円に抑えることも可能だ。
お金の管理が下手だと30万はただの30万でいくらがどこにいくとかはあまり考えてなかったりするが。
意識も全く同じだ。
この意識はここに使う、この意識はここでは使わない、みたいなことができるし、その強弱もつけられる。
自分で起業した経営者は割とこういったパーテーションの考え方が自然とできたりするし、人生悩みだらけでカオスだったりする人は逆にパーテーションがゼロだ。
全部に全部の意識を使っている。
意識の特徴その3。
重心がある。
そしてその重心は自力で変えられるし設定もできる。
ほとんどの人は意識の重心がどこにあるか意識しないまま一生を終えるだろう。
しかし、意識の重心の在り処を把握し移動させるだけで日常は激変する可能性がある。
これは体と同じだ。
重心が上半身にあったりちょいちょい移動したりすると当然体は不安定になる。
よちよち歩きの赤ちゃんがあぶなっかしいのは重心が頭にあったり安定していないからだ。
重心がしっかり下半身にあったり丹田にあったりすると姿勢がよかったり疲れにくい体だったりする。
意識にも重心があるのだ。
重心が一点にありそこに集中していれば安定するしブレにくくなるし迷いが減るし余計なものが減っていく。
重心が浅かったりちょこちょこ移動していたりするとまぁ人生ボロボロになりやすい。
まだいろいろあるが、以上3点の意識の特徴をふまえた上で。
カンタンに本題に戻り結論を話すと、体はフツーに生活しながら、意識の重心を五次元に置けばいいのだ。
体は今まで通りでいい、とりあえず。
意識を体から離して、重心を目の前の現実ではないところに置くのである。
そんなこと言ったって五次元がわかんねえんだわ、というお声が今殺到しております。
五次元の感覚を話すんでメモってくれ。
まず、善悪や常識非常識など、社会的な感覚や判断より、直感や野性的な反射を優位にすること。
例えば、山林を切り開いて置かれている太陽光発電、メガソーラーの映像や画像などを見て。
「これは環境にいいことだ」と思うのが社会的な感覚。
「こんなに環境を破壊して頭おかしいんじゃね」となれば野性的な感覚、直感の方だ。
ニュアンスがご理解いただけるだろうか。
どんなに良さげな科学的エビデンスを持って説明されようが、直感でコレをやったらマズいと感じる何かがあればそれは五次元感覚の範囲だ。
人によってはそれを、臭いや味で感じるかもしれない。
聴覚でわかる人もいるだろう。
逆に社会的に悪いとされていることでも、地球環境や宇宙から見たらいいことも山ほどある。
我々は生命体である以上、社会より地球や宇宙の方が上位なのだ。
社会に判断の重心があるとそこが狂う。
結果、魂が悲鳴を上げていろいろ大変になったりするわけだな。
次に、視覚的に見えているものだけを信じる材料にしないこと。
大体、信じるかどうかはそのものの裏にある情報で決定されるもんだ。
人間だってそうだろう。
どんなにちゃんとした格好してる人でも、その人がクズだと知っていたら信用しないはずだ。
ビシっとしたスーツを着ているという視覚情報だけではそこにクズかどうかは乗らない。
目に見えるものの背景を見るようにすること。
以前、月守ワークのお話会でも話したが、本当に信用できる人の特徴はむしろ「社会的にちゃんとしていないように見える格好」をしている。
この辺すごい重要なんでまたいつか話そうね。
で、これが一番大事なんだけど、今生きている自分は「自分の一部でしかない」ということを意識するのだ。
スピスピしてるだろう?
しかし実際そうなんだからしょうがない。
三次元に重心があると、生きてる自分が全てになるんだ。
まあそう教育されてるからそうなる。
が、自分という存在は巨大な何かの一部である。
これがいわゆる「つながる」とか「おりる」とか「守られている」とか「根拠のない自信」などになっていくものだ。
例えば、単純に、両親がいなかったらあなたは存在しないわけだが、その両親もその両親もみんなそうだし、それを遠景から見れば地球や宇宙がないと全ては存在しないわけだが、あなたがあなたを意識するにはその背景にとんでもなく巨大で膨大な何かがあるというわけだ。
背景なくして自分なしである。
つまり、あなたは小さくて狭い存在ではない。
意識できている範囲が小さいだけだ。
で、その背景の巨大な何かの方に徐々に重心を移動させる、そんな感じが五次元感覚でもある。
まあいろいろダラダラ書いたが、体はフツーに日々を生きていいので、意識を五次元方面に持って行くとだけ思ってみてください。
必ずいろいろ変わるから。
というわけで夢を叶える誘導瞑想動画、超いいから使ってくれよな。
まずは3日連続チャレンジな!!
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