2019年2月25日。曇り空。

今日は父の命日です。

母曰く、ぐうだらべぇの父。

私が、改めて今。思うには父は「ギャンブル依存症」だったのじゃないかな?

と。思います。

まぁ。。なんでも病名をつけてしまう今の風潮にノレバと言うことですけど。

 

父が亡くなったのは、東京の奥地の施設に併設されている診療所。

父は医者嫌いで、飲む薬は「ノーシンと改源とわかもと」だけ。

 

父が病院に行った記憶は、

まだ現役の頃(doramusume。が中学か高校時代)

ぎっくり腰で、動けなくなって、会社の若い人が総出で迎えに。

当時社宅の4階に住んでいたので、みんなで担いで近所の整形外科にGO.

座薬を貰って、「そんなものは俺は使わん💨💨」と無視。

その後、どうなったのかは記憶していませんが。

まぁ。。それなりに時が解決したようです。

 

それ以外、父が病院に行ったことは一度もありませんでした。

前にこのブログに書いたかどうか?も忘れていますが、

亡くなる4か月前。11月。

椅子から落ちて立ち上がれなくなって、

母が救急車を呼んだのですが、

「俺は何ともない」と救急車にお帰り願うこと2回。

 

どうにもならなくなった母が私を呼んだのです。

当時は、横浜のマンション住まい。

すったもんだで数日振り回され、父を近所の診療所へ連れて行きました。

                        ⤴近所ったって山の中。それなりの距離。🚙。。

 

そのまま、入院になって、少し良くなった頃、

母は、もう父とは暮らしたくない💨と。(´;ω;`)。

「おじいちゃんの面倒は見たくない」と訴えます。

  ⤴別に面倒を見ていたとは思えないのですけどね。

なので、そのまま隣の老人ホームに入れて頂きました。

 

介護保険。

「俺はそんなもんの世話にはならん💨」と言って、

父は認定を受けてイナカッタのですが、

何分13年前の事。

詳しい事は忘れていますし、何がどう作用したのかも不明ながら、

ともかく父は母の願い通りに「老人ホーム」に預かってもらうことが出来ました。

 

その後、父は私が思うに「人生に見切りをつけた」ようで、

食事もほとんどとらず。

私が箱買いしたゼリー風の飲み物だけ、好んで飲んでいました。コレ⤵

 

私は当時派遣で仕事をしていました。

彼もそれなりに、まだ肝臓が悲鳴を上げる前の自己免疫性肝炎時代。

二人で、休みの度に一応お見舞いに、行ったかな?

呼ばれたから行ったのかな?

 

その辺も忘れちゃいましたが、

何しろ、人間一人を預けると、それなりに書類が必要。

何回も、「会いたくて」行った事はないですが「必要に迫られて」行きました。

 

様子伺いかねて、Drに面談したのですが、その時の会話。

私「もうどうでもいいって、諦めちゃったかな?」

Dr「そうみたいですね」

そんな会話を覚えています。

 

この診療所のDr。

聾の方の心が専門らしく。その方面ではかなり有名な方らしいです。

今、どうされているかは、見ていませんが、当時は40代?30代後半?

みかけ麻原彰晃みたいな感じの方でしたけど、👀。。。

診療所にはお薬は三種類。

「痛み止めと胃薬と風邪薬」とおっしゃっていました。

 

望むと望まざるとにかかわらず、父の「ノーシンと改源とわかもと」と。

期せずして、ぴったんこ。

なので、この診療所で最期を終えた父は本望だったと、私は思います。

 

父が亡くなるまで、同じ町内に住む母ですが、一度も見舞いには行きませんでした。

私が、様子見に行くけど一緒に行く?と、一応お声がけはした?ように思いますけど。

「いい」って言ったから連れて行かなかったのか?それとも誘わなかったのか?

今となっては忘却の彼方。(* ̄▽ ̄)フフフッ♪。

 

父が亡くなったとき母は枕元で立ったまま「やっと死んだ」と言いました。

                   ⤴足が悪かったので座れなかったのだけれどね。・・

顔の上にかかっている白い布を取ろうともしませんでした。

父がなくなって、泣いた人は一人もいません。

 

まぁ。。自業自得と言えばそれまでですが、

この父の遺族年金。💰。。。

当時の私の派遣の年収を上回る額。

それを父は最後に母に残しました。

 

そのまま、13年。母がもしおとなしく生きていれば~~~??。。ねぇ。。

と。捕らぬ狸の皮算用をするdoramusume。

母は4年後に亡くなったのですけど、

人生。帳尻が合うように。もしかして、うまくできてるのかな?。。と。思います。

 

そんな夫婦に育てられたdoramusume。です。

ぐれてもおかしくない家庭環境だったと、思うのですが、

父と母。別々に私を溺愛していたように思います。一人っ子ですから。

両親の愛っちゃ愛を、それぞれにいびつな形ではありますが、

まぁ・・受けただけでも。。幸せだったのかな?と。今は思います。

 

父の命日を覚えているのは、たぶん、今では私だけ。

それはそれでヨシと。心の中で13年を想います。

追加でこの記事⤵

https://ameblo.jp/chiekochie/entry-12355662027.html

昨年の今日。父を想って書いた記事です。

 

彼。。う~~~ん。朝ごはんを食べてお薬飲んでベットにGO.

寝ています💤💤。。。

そろそろお昼ですねぇ。。。

食べよう!って言わないと、ずっと寝てるのかな?

そのあたり。微妙・・・

今日はDrも看護師さんも来ない月曜日。

さて、あと半日。少しお片付け。。しましょうかね💨💨。。。