「看取りのはずが回復」

読売新聞。医療ルネサンス。NO6739。命の値段。「適正」を探る。6-6。

この記事は、毎回6回の連載です。

毎月、月中~月末に掲載されるので、楽しみに読んでいます。

 

今回の~「適正」を探る~の記事。

 

彼の場合。何回も書いておりますので、以下ザックリと経過。

 

若い時、サラリーマン時代が少々ありましたのね。

毎年の健康診断で、肝機能がチョット⤵。。などという話もあったように思います。

だからと言って、症状が出るまで、普通に生活をしていました。

 

最初に症状が出たのが50歳ちょい前。

サラリーマンを辞めたのが40歳の頃ですので、

独立して10年が過ぎようとした頃です。

風邪?と思ったのが。なかなか治らなく。

内科に行ったところ→市立病院(当時は町立)→肝生検の出来る病院。

ココで、自己免疫性肝炎と診断。

肝移植を勧められました。

お断りして、お薬で、病と共存の道を選びました。

5年程プレドニンとベザトールを飲みながら仕事もしていました。

 

肝機能が代償期から非代償期になったのが、彼が55歳の頃。

大学病院で、再びの肝生検をして。

「原発性胆汁性肝硬変」という指定難病に。

プレドニンをゆっくりゆっくり中止に持って行き。

あとは少しでも肝臓が長持ちするための対症療法。

 

検査は、血液検査はもちろんの事、超音波。CT。MRI。

数か月に一回の胃カメラ。大腸内視鏡。小腸のカメラも飲みました。

脾動脈塞栓療法。アルゴンプラズマ療法。ラジオ波。BRTO術。

出血シンチっていう体に放射線?をあてて、血管が全部見える検査もしました。

この時は、イギリスだかアイルランドだかの火山が噴火しちゃってね、

お薬が届かなくって一回延期。

病気しながら「世界とつながってる?」って感じた出来事でした。

血液製剤アルブミンの点滴。輸血。

脳症対策でアミノレバンの点滴。

貧血対策っていうか、原因がわからなかったので、骨髄の検査もしました。

この間。約7~8年。

 

毎月。高速道路を使って大学病院に通う日々。

治療の為の検査なのか?検査の為の検査だったのか?

ありとあらゆる、多分、この時期の最高級レベルのお薬の処方。

 

医療費は、ありがたい事に、公費負担。

自己負担は、月/5000円。と交通費。(駐車場代と高速道路代とガソリン代)

最初のころは、お昼は病院のレストランとか、道路挟んだ向かいのラーメン屋さん。

だんだん、蓄えも乏しくなってきて、最後は、おにぎり持参。

なんだか、月一大学病院に、お弁当を食べに行くのが、唯一の楽しみに(*ノωノ) イヤン

 

腹水が出てきて、長年見て頂いた大学病院のDrに。

「もうやりようが無い」と言われ、

選んだ治療が「在宅緩和医療」。

 

前置き長すぎですが・・「適正」を探る。

私たちなりに、探ってきた結果が今なのだろうか?と。思います。

 

今日の新聞記事。

 

脳梗塞で救急病院に入院。96歳の方。

救急病院から、長期入院の高齢患者が入る「療養病床」へ転院され、

不自然な延命治療はしない選択をされ、

転院時の書類は「お看取りで」と引き継がれたそうです。

もう十分生きた」が口癖。「もってあと一か月」との診断。

でも、回復しちゃって退院も出来て。のケース。

 

過度な延命治療なしの場合、

転院後、点滴だけで、だいたいひと月で、ほとんどの方が亡くなるけれど、

中には、回復見込みがある方も数人いるようです。

人工呼吸器などの濃厚な治療程、医療費の負担は大きいのが現状。

どこに線を引くのかが。。ムツカシイ。。

「適正」を探るのは、病状・医療費ともに手探りの状態。

 

『過剰な延命治療と、回復する余地があるのに看取りに向かう過小な医療。

いずれも正解とは思えない。』と記事は締めくくっています。

 

再び、我が家の場合。

「もうやりようが無い」から在宅にして、最後は家でと覚悟を決め。

家で点滴が出来るのね!と驚いて。

「お別れが近い」と診断され、リビングニーズもおりて、

奥様は「ど~んと構えていてね」から一年と数か月。

 

コレって、、回復?って。。思います。

現状維持だけど回復。薄氷の上だけど回復。v(。・ω・。)ィェィ♪

 

在宅医療を選んだのが、「適正」だったと。思います。

「ど~んと構えた奥様」どんだけ構えればいいのかな?状態です。

まぁ~いいか♬🎶です。