介護の現場は、慢性人手不足。

いくら介護報酬が上がっても、きっとずっと人手不足なのだと思います。

何をもって介護と言う言葉を使うのかは?いまだによくわかっていません。

正直、あまり好きな単語ではないのです。「介護」。。

 

私の実家は超長寿家系。

祖母は92歳で亡くなりました。

その上の曾祖母も88歳のお祝いをしたのを覚えていますので、

90歳くらいまで生きていたと思います。

曾祖母の最後は祖母が。祖母の最後は母が見ました。

介護と言う言葉の流行っていない頃の話です。

 

祖母が見た。母が見た。と書いていますが。

もちろん入院したり往診があったりでしたけど・・

たぶん、その事が介護だったのかな?と思います。

介護保険のない時代ですので、

たぶん掛かった費用は、祖母の場合は祖母の弟(長男ね)が。

母の場合は母の兄弟が(私の叔父たちね。。)が。

たぶんですが、応分の負担をしたのだと思います。

 

最後の看取りを家族だけではいけないとか、

社会で支えよう!とか。何とかいう議論があって、

介護保険が出来たような?

もっと、複雑な議論もあったとは思いますが、

ともかく社会で支える!のが。。介護保険だと思っています。

 

母は介護保険が大好きでした。

出来るのに出来ないって言ってやってもらうタイプ。

父は、出来ないのに「イイ!」って言ってお願いしないタイプ。

どっちも困ったちゃんでした^^;

 

なんだかんだと言いながら二人とも最後は施設にお世話になりました。

要するに、私は最後は見ていない状態。

 

縁あって、重度知的障碍者施設でパートをしています。

お年寄りとは違うので介護保険云々とは違う世界だとは思います。

 

でも、生きるのに、手助けが必要な方が、この社会にたくさんいらっしゃる。

と、言う事を目の当たりにして、

恥ずかしながら知らなかった現実を目にして。

思う事がたくさんありますdoramusuem。

 

ひとは絶対に一人では生きて行けない。

お世話になっていないように見えても、

どこかで誰かのお世話になっているんだな!って。。思います。

そういう事が遅まきながら感じる事の出来ただけでも、

パートに出た意味があるように思います。

 

出来る事なら、彼との生活を、義姉や娘に、そしてご近所さんに、

もちろん在宅訪問診療医のDr了に♡支えて頂きながら、

少しでもお役に立てる事があれば、支える側に。。と。思います。

 

全て順番。今なら?今できる事を?やるっきゃない!💨。。

 

利尿剤微々調整中の彼。

シンドイようです^^;

「どお?」「ううん?」「ダイジョウブ?「ダイジョブじゃない!」

「仕方ないね!」「うん」などなど。。。意味のない会話が続きます^^;

 

まぁ~いいか♬🎶です。

 

当地、今週は寒くてカラカラの日が続きました。

お洗濯は思いっきり乾きましたが、何しろ寒い^^;

12月も半分終わってしまいましたねぇ。。。

あと半月。日々淡々と(^▽^)/。。。