還暦の一年がもうすぐ終わり61歳になりそうなdoramusume。
よく言われるのですよ「まだ若いわよ!」とか。。諸々そのたぐいの事を。。
確かに!。。って、もちろん思います。
でも、幸か不幸か?。。幸いと思いたいのですが、我が家の場合。。
私たち夫婦は、ちょいと変わり者だったのだ!。。と。。思わなくはない二人の人生でした。
結婚してもうすぐ40年。
結婚してすぐ、24歳の時娘が生まれ。。
その娘もあと2~3年で40歳。彼女は二十歳で家を出ています。
義父・父・母と一応年齢順に見送り。
彼の肝臓が、自己免疫性肝炎から原発性胆汁性肝硬変に進化して、
同年代の方々より早く、彼50歳の時まで遡って、年金生活者になりました。
私も娘も単品だったので(一人子ね)割とちゃっちゃと子育てが終わり。
夫婦二人になったのも、お友達と比べると10年程早いです。
逆に、高校時代の仲間以外は、10歳程年上のお友達が多いです。
四捨五入の概算で、doramusumeの人生60年を20年づつ区切って見ました。
子供時代。母時代。妻時代。・・?・・に無理くり分類できます。
20年で区切るとやや無理があるので、今はやりの歴史の尺度!25年で区切って見ます。
そうすると、割とスッキリします。私の人生^^; ⤴注釈*下記にあり👀
25歳までは、旧姓時代。
何にも考えないのんびりした一人っ子だった!っていう訳ではなく、
まぁ・・・子供なりに、それなりの時代を過ごしました。
父が、母曰く「ぐうだらべぇ」だったので、それなりに世の中を斜に構え見ていたと思います。
おまけに、薬害で耳の聞こえが、障害等級が付く一歩手前の状態。不自由だったと言えば不自由でした。
25歳から50歳までは、そうですねぇ。。。家族の時代。子育てとか親の看取りとか。
彼40歳・私38歳で今の地に家を買って、町内会と言う組織を経験したのもヨカッタと思います。
娘には悪いのですが、母として子育てをした!と言う程の自覚は全くなく。
ともに育ったが正しいかな?
彼女が小学校の一年生になった時、イロイロ考えて夜間の短大(商科)で勉強しました。
そんな私を見て育った彼女。寂しかったと思います。成長しさっさと連れ合いを自分で見つけ巣立ちました。
婿殿には本当に感謝しています。余談ですが、この時代は補聴器を愛用していました。
で、今60歳。だから。。50歳から75歳までは。。何時代だろうか?と考えます。
だぁ~れの、せいでもなおけれどぉ~♬🎶。彼の病気で、人生見直し👀👀👀
50歳からの10年は。。思いっきり小説ができるほどの経験をした気がします。
現在進行形💨💨。刺激的なような、そうでもないような。。。
ラブラブ夫婦で嬉しいような。?・・飽きちゃうような^^;。。
55歳の時、2011年。東日本大震災がありました。
この時、母はすでに亡く。
彼は、原因不明の貧血でふらふら。肝臓が代償期から非代償期になった頃です。
地震のあった時、その前後から彼とはずっと飽きるほど?一緒にいたのですが、
マンションで、たまたま、ゴミを出しに部屋を出て、離れていました。
ビックリするほどの揺れに、とっさに頭に浮かんだのは「パパ!」って。。。。
地震が落ち着いて会えた時は本当に安心しました。
ほどなく娘からメールが来ました「ダイジョウブ?」って。
その時、私は、嫁に行った娘の事は頭になく^^;
「アッ!」っと思ったのです。
それまでだったら、「姫!ダイジョウブ?」とか「おばあちゃん!ダイジョウブ?」
とか。。私。。思ったはずなのに!って。
「パパぁ~」しか浮かばなかった自分にビックリ。
私の老後?第三の人生?はこの時始まったって。。思います。
心配する側から、心配される側への転換期。
耳の聞こえもどんどん悪くなっちゃっているのですが、
年寄りってぇのは、耳が遠いもんだ!目も見にくくなるもんだ!とある意味開き直りができます。
ただただ、気を付けよう!と思うのは、
尊敬されなくてもいいから、嫌われないように、しぃ~よぉ(^▽^)/。って!。
そのためには?。。。日々淡々と~♬🎶。。。が一番じゃないかな?って思います。
注釈;ブログに注釈もないだろうがぁ⤵と。。スミマセン^^;
前にも書きましたが、集英社新書「大予言」歴史の尺度が示す未来。吉見俊哉著。
彼がお勧め。。まだ途中。。。
今日は、太陽が出て爽やか。でも、当地は朝夕が冷えます。
彼。。。寒いって言います。^^;。。。まぁ~いいかぁ~♬🎶。。。です。