彼の父&私の父と母。

三者三様っていうのでしょうか?

 

親・・と言うテーマで前回(7/28)に少し書きましたが、

今日は、供養の意味?で三人の最後の様子を書きとめておこうと思います。

 

義父は。。。

1998年3月の初めに、心臓が苦しくなったらしく、救急車で病院に。。。

私たちが呼ばれたのはその晩?翌朝?でした。

何しろ遠方。北海道~~

朝、義姉経由で連絡があり、「亡くなった」と。

昼、「いや、まだ亡くなっていない、市立病院に入院した」と。

情報が錯綜^^;。

 

この頃は彼もまだ元気で稼いでいましてね~

親子三人で春スキーを旭川で~♬🎶って玄関にスキーを宅急便で送る手筈の日。

ともかく行かなきゃね~と飛行機を手配。

行き先を旭川から千歳に変更し、最終便で🛫。

ツアーのキャンセルをしたのかどうか。。もう忘れてしまいましたが^^;

ともかく荷物の中からスキーウエアとかを出して慌てて荷造をし直して。。と記憶があります。

喪服は持って行きませんでした。って言うより。。。

まだ持ってイナカッタ?用意していなかった時代です。

 

千歳は雪。

タクシーで札幌郊外の病院へ。。、ついたのは夜更けだったように記憶しています。

そのまま、田舎の市立病院の待合室で朝まで過ごしました。

 

続々(と言う程ではない人数の)親戚が集まったのが次の日。

ともかく一命は取り留めた状態。

その晩だったか次の日だったか、Drに気管切開の了承を求められ、

末っ子長男の彼が姉と相談してOKしたように思います。

 

結局、意識が戻らないまま、約ひと月の入院で亡くなりました。享年78歳だったらしい。。。

 

実父は。。。

医者嫌い。不仲の老人二人暮らし^^;

母はほとんど介護放棄状態。自業自得と本人も諦めていたように思います。

私が様子見に行ったとき以外口は利かないと言っていました^^;

 

すこ~しボケが入ったみたいで、日々椅子に座ったまま、動かなくなりました。

そのまま椅子から滑り落ち。。母では元に戻せず。救急車を呼んだそうです。

救急隊員が病院へ搬送しようとしたらしいのですが、

本人が「イヤ」と動かず怒鳴りだし。。。救急車は帰って行ったそうです。

どうも、そんなやり取りを2度繰り返し。。私に連絡が来ました。

「椅子から動かなくなった父を、何とかして~」って。

 

当時の彼の肝臓はまだ代償期。

プレドニンを飲んではいましたが、仕事も普通にこなしていました。

このままじゃまずいなって私が某銀行のコールセンターに再就職したばかり。

2005年の晩秋でした。

 

両親は、東京のど田舎に住んでいましたので、

とりあえず近くの診療所に連れて行きました。

その診療所は老人ホームに併設?されていて一応の入院施設もあります。

ただし、薬は風邪薬と痛み止めと胃薬しか出しませんよ~というDr。

 

母は、もう父の面倒を見るのが嫌だったのでともかく入院させてくれの一点張り。

私も、仕事を始めたばかりで、どうすることもできない状態だったので、

まぁ~少し入院させてもらって、そのまま老人ホームに入るコースでいいかなぁって。。

一人っ子なので、誰に相談する必要もなく、母がそれでいいならと思った次第。

 

今思えば、微妙に認知症ッポな父でしたが、

たぶん母と仲が良かったら違った結果になったと思います。

母の希望通り診療所で、数週間入院し、隣のホームの空き具合で横滑り。

書類を書きに行ったのは覚えています。

詳しくは。。。忘れちゃいました^^;無責任な一人娘ですねぇ・・・

何しろ「ぐうだらべえ」な父でしたので、母も私も( ^ω^)・・・冷たい冷たい^^;

母は一度も見舞いに行きませんでした。積年の恨みですねぇ・・・

私は一人暮らしの母の様子を見がてら4~5回は行ったと記憶しています。

父は元公務員の年金さまさま世代。費用的には十分間に合いました。

 

何しろ病院嫌いだったので、入院したとたんに人生を諦めた気配。。。

ほとんど食事もしなくなり、3か月で枯れるように亡くなりました。

2006年2月。。享年78歳くらい。

 

で、母。。。

遺族年金もいっぱい。(私の派遣の給料より多かったのですよぉ~。)

希望通り、ケアハウスに入れ、資金的にも十分な未亡人になることができました。

子供の時から「別れる別れない」を繰り返していた母だったので、私も一安心。

なので、彼の病気の事は詳しくは伝えず。。まぁ~何とかなるだろうと思っていました。

ただ。。順番だけは守ってほしいな~って、心のどこかで思ってました。

母が亡くなったのは、何回かこのブログにも書いたのですが、

彼の肝臓が代償期から非代償期に変わった頃。2010年の1月です。享年82歳。

ポックリに近い心不全でした。

 

この三人のQOD。。。誰が一番だったのかな?ってよく思います。

 

人様にかけた迷惑度合いもあるので、受け止め方も彼と私とでも違うし、

関係者一同。。。思いは様々。。。

 

生前どうあれ、残された親戚一同が、いい具合に仲良くなった義父。

生前、こちらもサンザンでしたが、遺族年金をいっぱい残して枯れるように亡くなった父。

父に苦労させられ、

気の毒な感じの女性の代表各だったのに、非常にタイミングのワルカッタ母。

 

語りつくせない人生を感じます。合掌。。。