恥ずかしいなって思いながらも、日々の思いを伝えたくって。。
還暦の手習いでブログを書き始め。。毎日。。それなりに頭を使い^^;
楽しいです。
思えば。。。彼が。。ええっ?って言う病名をもらったのが、
彼49歳。私47歳。2002年頃。平成だと。。。14年?
先日、読売新聞の取材を受けて思ったのですが。。。この、何年に何歳って。。結構難しいのね!
お誕生日の加減とか、(彼6月。私10月生まれ)、で、昭和生まれなのに今は平成だし・・・
ブログっていうものを書いてみたいな~って思い始めたのが。。
2010年頃だと思います。
ちょうど、職場の若いお友達にね。アメーバーピグを教わり、
またこれが楽しかったのです。釣りをしたり。カジノで遊んだり。
ずいぶんとハマりました。釣りの腕前は大したもんですよ~~(^▽^)/
仕事が、コールセンターの苦情受付みたいなものだったので、
PCに向かって無心になるのが安定剤でしたの。。ふふふ。。
時々、人様のブログを拝見して。。私も書いてみたいと思いました。
何を?って。。そうなのです。。彼の闘病記。
だってぇ、自己免疫性肝炎って言われて、肝炎の中でも珍しいパターンらしいし。。
ええ?なんで彼が?って。肝移植が一番だって言われ。。ええ?なんで?って。
普通に暮らしたいのに、。。。移植は嫌だし。。お金ないし。。って。。
移植しないと、持って10年位だって。。。言うし。。はぁ⤵。。。
そんなことを思いながら、でも、普通に、それなりに頑張って?10年が過ぎたのが。。
2012年。(ん?計算合う?)
まあ、その10年の後半はいろんな意味で、いろんなことがあったけど。。
すったもんだの日々が数年程続き、自己免疫性肝炎が、
原発性胆汁性肝硬変になり、肝不全になり、救急車が身近になり、
その間に、父が亡くなって4年後、母も亡くなり、一人っ子の私はちょっとお疲れの日々。
2011年の震災もあり、世の中もリーマンはじめ大きく変わって。。。
私の人生!何なのよぉ!と、思う事も。。本当は。。ありました^^;
2012年の2月・3月と。ポチポチ書きましたが、続かず。っていうか、内職に追われ?
違うな~まだ、彼に「書きたい」って、言っていなかったのが一番かな?
そんな年月を、。。年単位で。。大変だったのが。。月単位になったのが。。一昨年頃。
昨年、彼が、長年通った大学病院での治療を、終わって。。。
この、終わったって言う転換が素人にはスカッと理解できなくって、
治療に通うと言う事と、治るって言う事は違うし。。治らないものは治らない。
肝臓は、あくまでも対症療法なんだよねぇ~~と改めて実感。
市立病院に戻るしか選択肢はない状態で、市立病院でも素敵なDrに出会え、
このDr。。地元の方ではなく、関西弁で(うわさ。~聞くところによると単身赴任。。)
「〇〇さんは、(彼の事ね)人生の最後はどこで迎えたいですか?」と。。
彼即答「家です!」
私。。「ん?今それ聞く?」「って、事は。。。長くないのかしらぁ??」
と。心の声。。。後で彼に聞いたら彼もそのように思ったようです。
彼にとって、このまま市立病院に通うより、在宅療養と言う、考えてもいなかった方法がある。
って、知って。。。(在宅療養。。訪問診療。。。昔の往診とは概念が違いますのよね!)
ええ?こんな田舎で、訪問診療をしているお医者様が。。。いるの?とまずはビックリ。
在宅訪問診療って。これからの医療の最前線のように思います。
なので、今この時期に巡り合えた彼は、とっても幸せ者だと思うのです。
Dr了と巡り合えたのが2016年9月。←我が家にとって記念すべき出来事でした。
でも、すぐに入院してしまい。。。
本格的に訪問診療が始まったのは11月に昏睡してからです。
この時は、本人もDr了も看護師の義姉も娘も。。「あ~こりゃ長くない」と思ったようです。
私だけ・・・狐につままれた?状態でして^^;
「なんかぁ~世間に騙されてる気がする」と日々思っていました。
「僕の事をブログに書いてみれば~何を書いてもいいよ~」と彼が言ったのがこの時です。
そのあとは、今まで心に溜まっていた気持ちが溢れてくるように、
キーボードを打ち込みました。そして、半年過ぎました。
その副産物?みたいな感じで、読売オンラインの記事で体験募集。。。
応募したところ、取材につながり、読売新聞の記者さんとの素敵な出会いもありました。
年間企画「いのちの値段」第5部。・・・新聞取ってないからコンビニ行かなくちゃ^^;
掲載は今月29日の朝刊だそうです。写真付きで実名でと、かなりハードルが上がりました。
彼の病状は。。。超低空飛行。。。穏やかにこのままもう少し。。。神様はいる?。。。
きっと、いると。。。思います。。。♬🎶。。。