27時間の批判もあるんですね~ | スマップ日和 小さな幸せがずっと続きますように・・・

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本当の事いうと

あの日・・・・・私は・・・・心ここにあらず・・・でした・・

何故か!!?

ライブの発表があったから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

何故なんだろう・・いきなりで・・動揺しちゃいました

始まる前に
「27時間でライブの発表があったりして!!」
なんて・・
言ってたんですよ!!(これはただただ・・・思いつきですが・・)

当たったことより・・・・・え・・・・・?

京セラの申し込みが・・・・え?・・・・・・・・・・・早過ぎない!!
1週間・・・・・・?
これは今からは新規さんは申し込めないよね~
って・・・・・・・古株さん優遇キター

(あはは・・・・・・・・・・・・・・・一般の販売の仕方みて・・・・やっぱ無いか~
甘かった!!!!)


こんな気持ちでのライブが始まっちゃって・・・
今思うと・・・・・・・・・・未定企画も・・・・・ライブも・・・・ふわふわしちゃって(苦笑
しっかりは見れてなかったような気がします

で・・・・

サムガ聞いて・・・またリピしちゃいました

草薙君のバック転!草薙君の涙!!
STAY が・・・スマップ思って書かれた曲!!ってことや・・・
改めてみたら・・・・また感動しました・・・
中居君が無様な姿見せてスミマセンでしたって・・・・・・・
全然!!って・・・・叫んでたり・・・



ちょっと(かなり)ムカついたこの記事!!!!

これ↓
SMAPと浜崎あゆみに共通する「取り扱いにくさ」
?
のっけから読点や助詞が続く読みにくい文章で恐縮だが、今現在の浜崎あゆみとSMAPに共通点があるとすれば、長丁場の歌番組の最後の最後で必ず「満を持して登場」するけれど、それが本当に満を持しているのか疑わしい、と周りの皆が思っている、という点だ。

今、この「満を持して登場」を文句無しで背負えるのが嵐であり、あるいはB’zやサザンといった滅多に出てこない大物なのだが、浜崎やSMAPというのは「旬」と「大物」の間でさまよいつつも明らかに「大物」寄りでさまよっているから、取り扱いがとことん難しくなる。まだしも「旬」寄りに認識されている人ならば少々大物感が急造っぽくても気にならないものなのだが、どう転がっても明らかに大物寄りなものだから難しい。誰にだってやってくるキャリアの下り坂を感知した際の措置として、あまりメディアに出ずに希少性を高めることで大物感の醸成を早める、という技がある。しかし双方共にそれをせずに何かとメディアに出てくるものだから、ファン以外の人たちにしてみれば常に供給過多となり、大変恐縮ながらもう少しお控えなさるべきでは、という助言をしたくもなる。事実、この双方には「いつまでやるの?」という辛めの突っ込みがあちこちから放たれ続けているわけである。


マンガ家の久保ミツロウがSMAPについて、昔は「誰がいいか」を議論したけど、今は「誰に共感できるか」を議論してしまうと言っていて、なるほどSMAPの存在意義はこうして保たれているのかと気付かされた。忙しすぎて滅多に全員揃うことがなかった全盛期のころ、彼らは全員が揃うことを「SMAPする」と呼んでいた。嵐に漂う友達感覚はどこか高校生っぽいし、TOKIOの同僚感覚は「同じ釜の飯を食う」ことを大切にしてきた昭和の中小企業っぽいのだけれど、片やSMAPは、嵐やTOKIOのように仲睦まじく全員が揃っているのを常態とせずに、方々から集うこと自体をひとつの特別な出来事として見せてきた気がする。『SMAP×SMAP』は長年続いているが、(基本的には大物)ゲストを相手にするという演出上、あまりグループとしてのコミュニティ感を漂わせはしない。

その結果、ひとりの個性としては立ったものの、「SMAP」という総体では扱いにくい、というジレンマを長年抱えている。ナンバーワンではなくてオンリーワンでいいと歌ってきたが、実際には、ナンバーワンでありたい人と、オンリーワンでいたいという人と、ナンバーワンでもオンリーワンでもありたいという人が混在しているように見える。SMAPにはすっかりいろんな花が咲き乱れていて、彼らの世界にひとつだけの花が咲いているようには到底見えないから、受け取る側はグループとしての焦点の当てどころを探せずに長いこと困惑しているのだ。嵐やTOKIOは「一人一人」が集って「オレたち」になっていることをメンバー同士の立ち振る舞いで知らせてくれるのだが、SMAPは唐突に「オレたち」を出してくるから、受け止める側にスタンバイの時間がない。

●部長が遊軍だった頃のエピソードをOBに語らせても

先日の「27時間テレビ」で元・メンバーの森且行が5人に送った手紙が感動を呼んだと話題になっているが、SMAPの「オレたち」とは、をわかりやすくプレゼンするための最後の切符だったようにも思える。一人ひとりに丁寧なメッセージを送ったあとで、「SMAP。僕の友達は5人以外にいません。SMAP最高。」という言葉で終えた森の手紙は、「オレたち」の現在を外から知らせてもらう、最後の一手だった。

この27時間テレビでは、事件報道において「容疑者」や「被告」などの呼称以外に「メンバー」があると教えてくれた例の事件についても自ら突っ込んでみせた。これまで公の場で語ることをタブーのように扱ってきた森の存在や逮捕事件を自ら手繰り寄せて「オレたち」の説明に使ってみせた。なるほどテクニカルな戦術だなぁと頷きはしたが、さすがに最後の切符を使ってしまったのだな、という気はする。森を引っ張り出すこと自体、部長が遊軍だった頃のエピソードをOBに語らせるようなもので、その当時を知らない若手社員は結構引いてしまうことだろう。


どんな歌でも音程やリズムをわざと外すフェイクを多用するキムタクの歌い回しがどうにも受け付けられないのだが、あのフェイクが「なんとなく本格的」と許容されていくのは、不安定にも程がある他の4人の歌唱力と比べられてこそ。去年のFNS歌謡祭で、エレファントカシマシとキムタクが「今宵の月のように」で共演し、キムタクはいつものようにタメをきかせて「くぅだらねぇとぉぉぉ………つぶやいてぇぇええ」(宮本浩次の歌い方を文字化するならば「くーだらねえとーつぶやいてー」だ)と歌い始めた。元々特別なオンリーワンなロッカーが大きな組織に絡めとられていく歯がゆさを覚えたものだが、思えば、歌唱力に定評があった森且行が脱退したことは、キムタクだけが本格的な歌唱力、という擦り込みを育ませる上でとても重要なファクターになったと言える。

●「特別なオンリーワン」と「保ちたいナンバーワン」をうまいこと併合させてきた

今回、SMAPは、最後の切符として「森且行」を使ったわけだけれど、最後の最後の切符には、当然、実際に彼と共演、が用意されている(元々はその予定だったが頓挫したとのニュースもあった)。でもそれは、集うことを「SMAPする」とまで呼んできたSMAPにはさすがに禁じ手になるだろう。つまり、長年打ち出してきた「オレたち」が崩れる。元恋人の奥さんの持ち歌まで歌っちゃう華原朋美の節操なきアクティブさのような攻め方を少しでも見せてしまうと、「元々特別なオンリーワン」と「それなりに保ちたいナンバーワン」をうまいこと併合させてきたSMAPの土台はグラついてしまう。盛者必衰の世界で、いつまで「満を持して登場」に浸るのだろうかというジャッジも含め、SMAPという装置がこれからどう動いていくのかという興味は尽きない。森の手紙は、「これからどうするんだろう」という議論を静めるどころか、確実に新たな着火剤となった。

武田砂鉄



こんな風に書く人もいるんですね~
これってアンチSMAPのため?
まあ・・・こうしてUPしてる私も馬鹿な1人なんでしょうね~
27時間最後のライブ感動して・・・まあ・・・・・・感動したのはファンだけなんでしょうか??? 

この記事にムカついた!スルーできない私がいて・・・
でも
これ読んだ木村君のことちょっと考えたら
辛くなって・・・・でもきっと笑ってるはず^^苦ワラ