小林麻美のおしゃれを盗む

いい女になりたい──女のコならだれでも一度は考えたことがあるはず。洋服をセンス良く着こなすことはもちろん、生き方すべてに素敵な女性になるにはどうしたらいいのか?
おしゃれには定評のある小林麻美さんの、おしゃれセンスを盗むのもテかもしれません。

ネクタイにジャケットなんていう男物を逆に非常に女っぽく着たいんです。

CanCam  1987年4月 いい女のステップアップ研究

私は10代のころ、背伸びをしてて、なにしろフランス映画少女だったから、映画からおしゃれのヒントを得たり、刺激を受けることが多かったと思う。
たとえば『相続人』(1973年・フランス)という映画で、こんなシーンがあったのね──。


ジャンポール・ベルモントが、遺産の相続を受け取るために、アメリカからフランスへ帰るんだけど、そのときに、ルイ・ヴィトンのハードケースが山積みにされていて、それをホテルのポーターが運ぶんです。
で、ルイ・ヴィトンのハードケースのバッグやトランクなんて、やっぱり重いんですよ。女の人が自分で持つトランクじゃないのね、ルイ・ヴィトンのトランク自体が…。


要するに、ポーターが全部運ぶから、自分はいっさい手を触れないという、自分が持つのはせいぜいこのパスポートケースと小さなバッグだけ…。
ああ、ルイ・ヴィトンのバッグって、ヨーロッパの、ある種のクラスのある人ご持つためにつくられたんだなァ──と、そのときに初めて思いました。あの映画で、それを見せつけられた気がします…。
私は最初、ボストンバッグだったの。あれなら自分で肩に掛けてもいいと思って…。
ハードなトランクを買うようになったのは、もしかしたらエコノミーじゃなくて、海外にも一応ちゃんとした旅ができるかな──というときになって、初めて買ったんです。


旅ってひどいモーテルでざこ寝して、ハンバーガーをかじるような、友達同士でリュックを背負うような貧乏旅行か、すべてファーストクラスの豪華な旅か、どちらかって気がする。
中途半端な旅ってつまんないと思うのね。
その意味でも、ベルモントの映画を見て、すごい勉強になって、なるほどな、自分でヴィトンの大きなバッグなんていうものを持ったら、かっこう悪いもんなんだなって…。
あと、私ってネクタイが大好きで、男物のジャケットにネクタイなんてするはと、すぐに宝塚っぽく、なにか男っぽくなりがちだけど、そうじゃなくて、男物を逆に非常に女っぽく着たいんです。
たとえば、フランスの女優なんかでいっぱいいますよね…。リース・サンダーとか、もっとたどればマレーネ・デートリッセとかね。


別に高いネクタイじゃなくていいんだけど、今日のこれなんかも安物だし、それこそ1本千円のバーゲンかなにかで買ったんだと思う。
シャツにはかなりこだわりがあって、気に入ったのがあるとずっと着ちゃうけど、ネクタイに関しては、男の人じゃないし、冗談、冗談という楽な気分で選んでますね。
スカーフなんかの場合は、うまく使えば、自分の子供ができたときに、子供の代まで使えていけて──なんか考えたり…。
エルメスのスカーフはもちろん素敵だけど、旅に出るときは、エトロの、ちょっと柔らかな、グジュジュってできるスカーフが気に入ってます。


革のつなぎをバッと脱ぐシーンが不良してて、鮮烈な印象として残ってる…。

私はミック・ジャガーの大ファンで、死ぬほど好きなんです。
で、そのミックの恋人でマリアンヌ・フェイスフルという女優がいるの。ミックの曲で、『アズ・ティアーズ・ゴー・バイ』とか、あれって全部、マリアンヌに捧げた歌なのね。
で、そのミックの恋人のマリアンヌが出てるっていうので、ドキドキして見た映画が『あの胸にもう一度』(1968年・フランス)なんです。
内容はあまり覚えていないんだけれど、アラン・ドロンが待ってる家に、マリアンヌがバイクを運転して駆けつけて、目の前で革のつなぎをバッと脱ぐシーンがあるの。裸に革を着てるんだけど中学か高校のときにその映画を見て、それがとてもセクシーで、色っぽくて、不良してて、すごい鮮烈な印象だったなァ…。


ミックの不良なイメージと、ダブルイメージになっていたのかもしれないけど。
日本では、不良、バイク、ヘルス・エンジェルス、暴走族──みたいに思われがちだけど、ここで言う不良のイメージはそうじゃなくて、もっと大人の、色っぽい不良なんです。

女の人って、けっこう多面性を持っていて、おしゃれの部分でも、この色だけって1色で決めてしまいたくないのね。
頻度としては少ないけど、それでもバイクに革ジャンっていう、そんな悪っぽいイメージって、自分の中でもわりと大事な部分を占めている気がします。
今日着ている革のジャケットは、頼んでつくってもらったものなんです。
柔らかい素材で、すそが結べるんだけど、普段はもっと日常的なコーディネートに使っています。でも、たまには今日みたいに、下にビスチェを合わせたりして、悪ぶってみたい──そんな部分も私の中にあるということですね。
私、父のナナハンの後ろにいつも乗っかってたから、バイクに対する恐怖感って全然ないの。自分でバイクの運転はできないけど、なんだか血が騒ぎます。
自動車を運転するときって、車は自分のとても大切な親友みたいな感じってありませんか?
だから、“ごめんね、きつい坂だけど許してね。便りがないのは元気な証拠よね──〝って、車に話しかけながら運転してるわけ。
ところが、バイクだともう、親友じゃなくて男なんです。
ある種セックスを感じるみたいな…。
やっぱり私は女だから、征服欲ってないし、逆に、バイクによって征服されてるって感じがしますね。危険なものに引かれるってあると思うけど、その感覚かな…。



私ってけっこういろんな人生をやってきたから、不良したり、たまにはアイドルもしたし、ブランド少女だったり、いい女にあこがれたり…。
そういうものが、何か感覚の中にたくさん残ってるのね。
だから、おしゃれはこうであらねばならないというよりは、もっと気楽に楽しんじゃえばいいじゃない──って考えちゃうんです。
それって、男の人が、ポルシェがいいとか、ベンツが欲しいとか言うのと同じじゃないかな。
女のコにとっての洋服って、そんな存在だと思うんです。

私、素直に言っちゃうと、さよならって言ったあとに、“麻美さん、なにかいい服着てたけど、どんなんだっけ?黒くて、革で…あれ、どこのブランドだろ?”っていうのが理想なの。
相手が克明に思い出せない服っていうか…。
そんなふうに服を着こなせたら、自分では、“やったね!”って思っちゃうだろうかな。
たとえばアライアとかソニア・リキエルとか、なぜか着なくなったかっていうと、だれが着てもアライアなのね。服自体が完成され過ぎている気がするわけ。
もちろんそれだけ魅力があるから、ときどき着たくなるんだけども、いつもアライアが勝って私が負けちゃう…。
で、多分、だれが着ても、あっ、アライアでしょうってわかっちゃうのって、つまらないし…。
服が目だつのはイヤだな。やっぱり服を着ている私自身が目だちたいじゃないですか。
この心理って、女のコなら、必ずわかってもらえると思うんですが、どうかしら。
最近私は、洋服でも和服でも、凛と着ることにしているんです。
逆にくずすときにはめいっぱい、だれもできないほどくずしてしまうとか…。
で、どれが自分ですかって言われても、どちらも自分ですって楽しんでるのよ。
きっと必死で考えてないの、ファッションとかを。かっこよく見せたいとか、全然考えてないんですね。
楽しんじゃって、あら、次はどんな格好をしようかしら、楽しいわ──そういう感じ。
これからも、そんなふうにいけたらいいなって思っています。


年令を選ぶんだけど選ばない、それが本当のシンプルだと思う。

『男と女』(1966年・フランス)の中に、こんなシーンがあったんです。
最初、男と女の会話だけが聞こえていて、画面にはシャネルのバッグだけが映っている──そこからカメラが引いていくと、夜のレストランで男と女が向かい合っている…。
アヌーク・エーメという、大人っぽい女優が、何を着てたとかは全然覚えてない
んですが、多分、ごく普通のものを着てたと思うんだけど、彼女の持っている雰囲気とシャネルのバッグが、とても印象深かったの。
で、そのとき、シャネルのバッグを持ってみたいって、初めて思ったんです。それと同時に、永遠に変わらないものってあるんだな、シンプルで、ある種きわめたというか、これ以上変えようのない美しさみたいものがあるんだなって思いました。


私が、シャネルのバッグを買ったのは、19才のとき。そのころで17万円もしたのね。ドルが360円のときだったから、ものすごく高かった。
でもね、むだなことしちゃった、とかそういうんじゃないの。あこがれを手に入れ、今でも大切に使っているの。
シャネルのエスプリって、シャネル、彼女自身の生きてきたエスプリみたいなもので、すごい共感できるし、いつかはそのシャネルが似合う女になりたいって思い続けていました。

そんな、あこがれの部分を持つことも、おしゃれをする上で、とても大切なことだと思うです。
この黒のVネックのセーターも、これ以上シンプルなものはないっていうぐらいシンプルでしょ。ここに花とかついていたらもう違うし…。
これは10年以上前に買ったカシミアのセーターです。
当時、けっこう高かったけれど、こんなに重宝したものはないわね。すっかりもとは取れたって感じです。


こういうなんでもないものって、年令を選ぶけれど、選ばないものだと思うの。つまり、10代は10代なりの、60代には60代なりの、年令に合ったいろいろな着方があるということ。そういうものこそ、本当にシンプルな、一生ものっていう気がする…。
そして、30代の現在の私の着方。素肌にそのまま着て、ベーシックなタイトスカートを大人っぽく合わせるの。
でも、今私が10代なら、こんな着方は絶対にしないな。10代でVの黒のセーターを着るには、やっぱり素肌には着られないから、中にシャツを着てタイをするとか、かわいいリボンを結んで、タータンいチェックのスカートを合わせるとかね…。
20代なら、この中にフリルのきちっとしたブラウスを着たいな。
30代は素肌にこんなふうに着て、40代なら、タイトスカートを黒にしてもっと大人っぽく…。
そして、50代になったときに、初めてオレンジ色のスカーフをもってくるとか…。


そんなふうにしていきたいなって、今やっと見えてきた感じね。
こんなふうに、私が感じるようになったのも、いろいろな体験をして…失敗をしてきたからだと思うの。
18才くらいのときかな、大好きなフランス映画の中で、私が気に入っている女優さんが、上から下までサンローランを着てたわけ。それがすごくきれいなコーディネートでね。
それで、私、その翌日にサンローランのお店に行って、全部そろえて買ったの。お給料全部とか、親から借金してって感じで。でも、全然似合わなかった。
今から考えたら、笑っちゃうけれど、そんな間違いをいっぱいしてきたの。そういうことを経て、やっと、その年代にふさわしいおしゃれなんてことが考えられるんだものね。そういう体験は、今の私のファッション感を支えている、自分に対しての投資だったと思うんです。

おしゃれにいっぱいむだをして、いっぱい失敗をしてもいいと思う。
おしゃれになるには絶対必要なことだし、絶対損することはないと思うの。
シャネルにしてもヴィトンにしても、夢中になって買ってはみたけど、結局、20才の自分には似合わないなって気がついたんです。
でも、それを大切にとっておいて、あとでふさわしい年代になったら、また取り出してきて使えばいいんですものね。
私にはコレしかないって決めつけるのはつまらない気がして…。
いろいろな体験をして、いっぱい冒険して、もちろん、いっぱい失敗をして──私はそうやっておしゃれを楽しんでいます。


ファッションには“魔性”がある私、死ぬまでそれを楽しむの。


女のコっていくつになっても、かわいいものにあこがれる、永遠の少女のような世界を持っていると思うの。
たとえば、カメラマンのD.ハミルトンが監督した『ビリティス』(1977年・フランス)という映画。
16才の女のコの夏休みの出来事をつづったお話なんだけれど、内容よりも、そのひとつひとつのシーンの美しさにやっぱりあこがれてしまうの。
まぶしいほど明るく、優しい日ざしの中で遊んでいる少女たち、コットンの小花模様のワンピースに、レースのリボン、長い金色の髪は細く三つ編みに編んであって…。
そんなあこがれ…女のコだったらわかってくれるでしょう…私の持っている大好きな世界のひとつだと思うんです。
よく、小林さんって、ハイテックなお部屋に住んでるでしょ、って聞かれるけれど、実際の私の部屋は、ピンクのベッドカバーがあったりするんですよ。
洋服ダンスの奥には、フリルのついたアンチックのドレスが大切にしまってあったり、コサージュにレースのリボン…いっぱいあるんです、そういう大切な宝物が…。


下の写真の黒のワンピースもそのひとつなんですよ。もう10年以上も前なんだけれど、アンチック屋さんで見つけて、ウワァ、かわいいって衝動買いしちゃったものなんです。
結局、撮影かなにかで1回くらい着たっきり。
その後、なかなか着るチャンスがなくて…そのままに。でも絶対に捨てられない、大切なものなんです。
ねっ、すそそのところにショッキングピンクのテープが入っているところがすごいでしょ。着てみるとけっこう胸があいていて、レースはアンチックレースなんですよ。
今日着ているような花柄のワンピースも大好きなもののひとつ。こういうものって、毎日着るわけじゃないけれど、すごくかわいい靴を買ったから、よし!これに合わせて、あのワンピースを着ようとか、朝起きたら、あっいいお天気だから、あのブラウスを着ちゃおうなんて、そのときの気分でとても着たくなるものなんですよね。
フリルとかレースとか、帽子とか、そういうものを30代だから捨て去るっていうのは、うそだと思うの。
30代だからこそリボンができるしね。今年の夏休みも、私、気分のいい日には、はだしにペッタンコのサンダル履いて、花柄の少女っぽいワンピースを着るつもりよ、絶対!


私が通っていた三田の学校の近くに、セントメリーっていうアメリカンスクールがあったんです。今はもうどこかに引っ越してしまったらしいんだけれど、そこの制服がすごくかわいかったの。
そのころの私たちの制服も、ベレー帽をかぶったりして、まあまあかわいかったけれど、私、いつもセントメリーの制服にあこがれていたのね。
タータンチェックのプリーツスカートに白いハイソックス、革のバッグを背負って、ベレー帽をかぶって…本当のリセエンヌみたいだった。
私ね、もし今、自分が10代だったら、絶対セントメリーみたいなリセエンヌ風のファッションをしたいな。実際の10代のころの私は、ずいぶん背伸びをして、たとえば現在の私が着てるようなファッションをしてたんですが、もっともっと若さを楽しみたいと思うの。
キョンキョンみたいなファッションも大好きよ。元気があって、いろんなことに挑戦していて、それでいて彼女の雰囲気にとっても合っていると思うの。私だって、20才だったら、キョンキョンみたいに、ミニスカートはいて、ニーソックスでがんばっちゃうかもしれない。ただし、背が高くて、こういう感じの髪の私じゃ、ハタチに戻っても似合わないってわかっているんだけれどね。でも、好きだな、ああいう感じって。



洋服ってやっぱり楽しんで着たいのね。あるときは、少女っぽいかわいい服を着たり、あるときはスーツでピシッとキメてみたり、急に大島なんて着たくなってしまう気分のときもあるし。で、なにかの拍子に胸の大きくあいた服でフッと驚かすとか…。

結局、ファッションって“魔性”があると思うの。お化粧もそれに近いけれど、やっぱり洋服だと思うんです。その服を着たときから、服の持つイメージの世界に自分も入り込んでいって…。たとえば、かわいらしい服を着たときは気持ちも少女のように優しく純粋になれたりするでしょ。
だから今は、服の持つ“魔性”を思いっきり楽しんでみたいな、って思います。