ヒロインの残像
誰もが、心のどこかにしまいこんでいる、かつて憧れたヒロインたち。
小林麻美さんのどこかにも、こんな女性たちが、密かに住んでいるのです。

ジェイ・ジェイ 1987年
小林麻美 昭和28年11月29日生まれ
元歌手
スカーレット・オハラ

人生に真っ正面からぶつかっていけるバイタリティと強さが忘れられない人

どんな逆境に追い込まれても、目の前が真っ黒になるような絶望の淵に立たされても、いつも“生きる”力がみなぎっている女性── スカーレット・オハラ。
苦渋の涙を流しながらも、両手で大地を握りしめ、私は絶対に負けない!と神に誓う姿。混乱で張り裂けそうな心を抱えながらも、“明日、考えよう。明日はきっと違う風が吹く”と、前を見つめていく姿勢。スカーレットという名前のように、いつも真紅に燃えているその生命の力を思い出すたびに、私自身の心にも“強く生きよう”という思いが湧いてくるの。
素顔の私はどちらかというと、スカーレットとは正反対。ひとつの壁にぶつかるごとに、“どうしよう、ああ、もうダメ”
と、ワナワナ震えてしゃがみこんでしまうタイプ。でも、まったく違う女性だからこそ、彼女には憧れてしまう。なにごとにも真っ正面から向かっていくバイタリティ。その強さを、私も少しずつ自分のものにしていきたいと思うの。


ボーヴォワールの小説
「招かれた女」の主人公

対照な2人が織りなす愛と嫉妬の世界どちらも“一途な愛”の表現だと思うの

ボーヴォワールの小説「招かれた女」に出てくる2人の女。
もの静かで冷静で、知性の固まりのようなフランソワーズと、自由奔放で本能のままに生きているようなグザヴィエール。静と動、水と炎のように、まったく対照的な2人だけれど、でも、どちらの女性も私にとっては、とても印象的なヒロイン。

フランソワーズ

ひとりの男をめぐって、彼女たちが織りなす愛と嫉妬の3重奏。フランソワーズは、まるで聖女のように、その男のすべてを受け入れ、愛してしまうタイプ。彼がほかの女性に心を奪われても、浮気をしても、それも彼の一部分として、信じられないような大きな愛で彼を包んでしまう、深い愛情。私には耐えられないけれど、でも、彼女のような愛し方は、やっぱりひとつの理想でもある。

グザヴィエール

だけど、同時にグザヴィエールの愛し方にも心魅かれるものがある。相手の気持ち、仕事、時間をいっさい無視して、魔性のようなわがままと独占欲で、彼を自分のものにしてしまう。すべてに逆らい、すべてを奪う。常識ではこんな愛し方はけっして許されないけれど、何ものにもとらわれず、そこまで激しく誰かを愛せる女性もうらやましい。

フランソワーズとグザヴィエール──
もしかしたらこの2人は、私のなかの表と裏なのかもしれない。たとえカタチは違うにせよ、“この人が好き!”っていう純粋さは共通のもの。そしてその途さこそ、私が誰かを愛するときに、絶対に忘れたくないものだから。

竹久夢二(たけひさ ゆめじ)

竹久夢二の絵の世界…

好きな男性の“色”にためらいなく染まれる──これも女らしい無垢な美しさ

10代のころに初めて出会った竹久夢二の絵。蜉蝣(かげろう)のようにはかなげで、うつろう風景のような、夢二の描く女たち。その姿が、私はなぜかたまらなく好きだった。
うずくまる女、伏し目がちの女、頼りなげに寄りかかる女、何かをじっと待っている女。自分のすべてを男にあずけ、その人の色にどっぷり染まっていく女。そんな夢二の世界のヒロインたちを“弱い女”というひとことでくくってしまう人もいるかもしれない。

でも、愛した男の色に、なんのためらいもなく染まれること。それは、かけがえのない無垢な美しさ。自分の人生を100%あずけてしまうこと。それも、弱さではなく、むしろ強さじゃないかと、私は感じるの。
愛した男の“理想の女”に少しでも近づいていくことのうれしさ。忘れられてしまった感情かもしれないけれど、女ならではのその心。私の心の隅にも大切にしまっておきたい、かけがえのない女らしさだと信じてる。