いつまでも
妖精のように…
秋吉久美子
ジェイ・ジェイ 1987年

いつまでも少年の心を持った男性が素敵に見えるのと同じで、少女の心を忘れずにいる女性も魅力的。自分に正直に生きる、という難しいテーマを自然にこなしている秋吉久美子さんも、そんな女性のひとりです。無理をしないライフスタイルの作り方、きっと、参考になるはずです。


秋吉さんの言葉を借りれば、セ・ブレはパキッとしたセロリのような元気さを補強してくれる。傲慢と清楚が同居したシャネルは、体に教えてくれるものがある。彼女にとって洋服は、女性として自分にない部分を補ってくれるものらしい。でも、面白いのは何を着ても年齢を感じさせない不思議な雰囲気があること。


「あのね、もちろん年齢は感じてるのよ。だって感じてなかったら変な人でしょう‼️ でも、自分からマイナスイメージの言葉を口に出さないの。どうせ私はおばさんだからとか、年だから疲れると思わない? とかね。自分からは言わないし、人が話題にしても、聞こえないふりをする(笑)。確かに口に出すと、あなたも私も同じという安心感があるんですよね。でも、その言葉が自分も他人も傷つけて、逆に男の人を安心させるんです。この人は、もののわかった女だって。たとえば男の人に、〟君も年をとったね〝なんて言われたら…。そのときの表情はきっと醜いものでしょ。口元は笑いながら目はひきつっているという(笑)。だから私には言ってはいけないんです、という意地をはっきりさせていますね」


女優としては、もう15年のベテラン。ある役を通しての転機を迎えるまでは、悩んだ時期も…。自分自身が荒馬で、監督が乗りこなしてくれなければ棚を壊して逃げていた。でも、いまは作品や対象のほうが荒馬で、手綱を取って乗りこなす楽しさを感じている。その流れのなかで、結婚からも新しい価値観が見えてきた。


「ひとりの男性から得るところは、大きかったです。恋人や出会いから得るものは、つまみぐいっていうのかな。たとえば、チョコレートパフェのさくらんぼ食べて、こういう味ねって思うことはあるけれど。もしかしたらチョコも生クリームも終わって、いちばん下のアイスクリームまでいけば違う味かもしれないし。それに食べ終わったあとの器の形までね(笑)。やっぱりひとつの流れのなかの美しさや知り方っていうか、枠がないと得られないものがあると思うんです。私は、飽きっぽいから…。女優という職業は、サービス業やアートの部分、そのなかにプリズナー、囚人の部分もあるんですよ。ちょっとミスをすると社会的制裁を受けるという意味で。すっぽかしたら、大事件で、イヤでも行かなければスポーツ新聞に顔写真が出ちゃうとかね(笑)。気が小さいからそれコワさに行くところがあるでしょう。だからひとつの仕事がなし遂げられる。結婚も、イヤになったらやめちゃえばいいんですけど…。結局、根性すえてつきあうっていうのかな。もし、そういう束縛がなければ、知っているつもりで知らない一生だったかもしれない。ガンコで、切っていくタイプですから」


以前は、ケンカの原因にもなった、片手を下ろしたまま食事をすると彼のクセも、だんだん違って見えてくる。急にそれがせつなく美しいことに思えたり、1年後には、前世は腕の不自由な人だったかもしれないと想像したり…。お互いの心の変化が相手に移り、別の角度から物が見えてくる。人間の心は変わる、とつくづく感じたという。


「彼にもいろいろ教えられたけれど、子供にも教えられることが多いですね。この間、夜の海に3人ででかけたんです。月の光が海に映っているのを見て、〟ゾクゾクするなあ〝って言うの。昼間の太陽は上から照らしているけど、夜の海は水のなかから照らしているみたいだねって。夜の海を見るのは初めてだからって言うのね。大人になると、夜の海がきれいなのを小説の世界や映画で知っているつもりになっている。実際に夜の海を見ても、こういうものだって確認しているだけなのね。子供は、真っ白な自分の感性に素直だから。私は、この感覚に怠けていて、人の言葉を借りて表現していたなって思ったの。私たちは、親子というより、男と女でもあるし、男同士の親友みたいなところもあるし…。〟みなまで言うな〝っていう感じがお互いにあってね(笑)」

いま楽しいのは、本を読んでいるとき。本が好きというよりも、愛しているというほど。本を通して昔の人の考え方に触れるのは、SFそのものという考えは、いかにも秋吉さんらしい。サイボーグ化したい、という発想から、スポーツジムにも通っている。ブリジット・ニールセンやシュワルツネッガー憧れ、体を鍛えて生身の肉体にネジを1本移植したいと思っているところ。この感覚を持っているかぎり、彼女はいつまでも自称〟からいばりの天真爛漫型〝でい続けるに違いない。