アン・ルイス

百恵に頼もうかとかって冗談に言ったのよ
MORE 1982年7月号 続きインタビュー

本誌 お休み期間は十分リラックスできた?それとも仕事したくてウズウズしていたの?

アン 10年近く、ずっと仕事してたから、頭を休めて、ちょっと考えるっていうか、そういう意味ではすごくよかったと思うのね。昔は自分が出てたテレビを見てても、すごい客っぽい、お茶の間屋さんみたいな感じで見れたし、客観的に見れるでしょう。番組のせこさも、よさも。大変だなあーみたいなのもわかるし。だからすごいよかったね、私。どっかでイライラしたかもしれないけど、今度、私があの番組に戻ったときは、ああ、こういうふうにしようかと考えられたしね。でも、人のコンサートとか行くとウジウジになってくるのね。ああ、出たいっていうね…。だけど将大さんのコンサートでコーラスをやったとか、少しはジミにやったのよ。でも、楽してたから太っちゃってね。お産を入れて10キロ太っちゃったの。(笑)大体53キロが普通なんだけど63キロになったわけ。もうゾーッとしちゃってね。ジャズダンスやったり、お風呂でヒリヒリするまで塩もみしたりとか、毒掃丸も飲んだわね。とりあえず思いつくままに、全部やったね。でも、どうしても6キロしか落ちない、やんなっちゃう。でも、仕事始めたら、常に見られるから、多分やせると思うんだ。今は、家でダラダラと緊張感がないわけでしょう。だからあんまり心配していないの。でも、ここは(ニのうで)はやせないのよ。乳児を抱いている以上は、やせないと思うね。だって12キロなんだもの。太り過ぎなんだもん、2歳の体重なのよ。12キロのボウリングの球を1日中抱いていられると思う。(笑)Tシャツが似合わない女になっちゃったの。


本誌 今度の新曲は、作曲、ジュリー、作詞、山口百恵と超豪華版。いかにもアンらしいという感じなんだけど、ふたりに作ってもらおうとパッとひらめいたのかしら。

アン 違うの。ジュリーに曲を書いて欲しいというのは、ロンドンに行く前からそういうのがあって、沢田さんに聞いといてって言ってロンドンへ行ったわけ。帰ってきて、その話を詰めようということになってスタッフみんなが集まったときに、詞は誰にしようということになったのね。いろんな候補があげられたんだけど、私のこと知らない人が書く詞っていやだとか、生意気に言ったわけ。「百恵に頼もうか」とか、冗談に言ったの。そしたらみんながシャキッなんて。(笑)もう、目の色違うのよ。みんなに乗られちゃったからね、隣の部屋へ行って、ちょっと交渉してくるといったの。電話して、「こういう話があるんだけど、やってくれる?」って言ったら「私はいいわよ」と言うの。「旦那何ていうかな」って私が言ったわけよ。そしたら、「うん、聞いてみて、そっちへ電話する」。やっぱり彼がイヤだったらできないからみたいな感じで……。「OK」の返事が、確か、その晩だったわね。夜、彼が帰ってきて聞いたんじゃないの。彼もやさしい人だからさ、いいと言ってくれて。「そのかわりいろんな問題が出てくると思うよ」って私、言ったのね。週刊誌とかのね……。「それは、もう十分心得てますから」って。それで決定したのかな。結構、ふたり共、軽い感じ。1曲目のほうはパアッとできてね。でも、B面の方はなかなかアイデアがはっきりしなくて。


本誌 じゃあ、シングルの両面共、ジュリーと百恵さんがつくったの?

アン うん、そう。タイトルはA面が『ラ・セゾン』。B面が『クラムジー・ボーイ』というの。それは、私が言ったタイトルなんだけど、ドジな男の子という意味なの。最初は、とにかく百恵とふたりで突っ張った歌にしようというんで、昔『女はそれをがまんできない』という歌があったんだけど、突っ張りの歌なわけね、男に向かっての。そういう歌がいいねといってたのね。そうしたら、メロディーがまだできてきてなくて、A面の方は詞が先行で、ジュリーが曲付け。B面は百恵の詞が先にできなかったんでジュリーの曲を聴いたら、突っ張った詞が乗っかるようなメロディじゃなくて、ちょっと楽しいわみたいな曲だったので、じゃあ“彼がどうしたこうした”のかわいいっぽい歌にしちゃおうということになったの。百恵の家に行って、辞書なんかパーッと見て、いい言葉ないかなあとか言って。なんとかボーイというのがいいということになって。日本じゃあんまり知られてないけど“クラムジー”がいいってことになってね。何かかわいい男の子が想像できるでしょう。タイトルを決めて創り始めたら即できたね。A面の『ラ・セゾン』のほうはちょっと難しかったね。私、初めてだね、ああいう意味がちょっとよくわからないみたいな……。“果実酒”なんて言葉が出てくるんだよね、歌いづらいの、カジュツシュって。ワインっていやいじゃんみたいなさ。(笑)でも、ワインだと、よく使っているし、いやなんだって、それはよくわかるけどね。でも、百恵ちゃんという感じよ。知的、頭がいい、彼女が考えそうだよね。

本誌 じゃあ、楽しみ。6月5日発表ね。

アン 私の誕生日発売。休むのその日は。(笑)

事件は、結果的によかったと思うのね、私

本誌 お得意の衣装のイメージは決まったの。

アン 今、日本って、結構みんなガンバッてるでしょう、難しくなってきたね。それ以上のことやんなきゃないけないと思うと……。

本誌 でも、現代(コンテンポラリー)のイメージメーカーの本家なんだから、みんな期待しているでしょ。

アン それがプレッシャーなのよ、私。次は何やるんですか、メイクは?ヘアは?って期待されるから、プレッシャーがある。

本誌 でも、一方では、それがあるから、アイデアを縛る楽しみもあるわけじゃない?

アン ま、勝てばね。(笑)勝ち負けってよくないけど、言葉的に。ハデさが極端までいっちゃったでしょう。だから、それ以上ないと思うわけ。ジュリーみたいにパラシュートしょって出てくるのもいやだしね。どうしようかなァと思って。もう死ぬほどジミにするのが、逆にハデなんじゃないかな、とかね。いろいろ、今考えてるんだけどね。こういうパンクヘアなんか、1回テレビに出たら、次の日に原宿に行くと、もう歩いてるでしょう。一度切っちゃったら、もっと短く切るしかないとか。だけど、私、最近、カツラがいいなと思うの。昔は、ほら、カツラかぶると「カツラじゃなーい?」って、心配されるのがいやな時代ってあったけど、今は「カツラでーす」って感じかぶればいい。


本誌 逆にシャレた感じになったりして。

アン うん。カツラをちょっと使おうかなと思って……。でもなんかすごく反発したいね。

本誌 でも、アンのジミって想像できないな。

アン ジミになんない人間だから。だって、今の顔してないのよね。今の顔って、目がちょっと細めでね、山口小夜子
(やまぐちさよこ)から始まってというのがちょっと続いてるでしょう。ホントは、デートリッヒっぽいメイクをやりたいんだけどね。何か、麻薬患者みたいな、病気っぽい感じがいいなと思ってるの。政治家ルックで思いきりジミにガンバってみようかなと思って。でも、最近のテレビとか見てても、みんなオープンになってきたね。彼氏の問題でも、みんないるって言うようになったし。

本誌 そういう意味では、あなたは先駆者的存在だったといえるんじゃない。

アン すべてオープンになるのがいいか悪いかわかんないけど、最近は、隠し事っていうのも面白いなっていうふうに…。「スター」っていう人は、やっぱり隠したほうがいいと。

本誌 これから、自分をどういうふうにプロデュースしたいと思っているの?

アン 私は、このまんまでいいと思う。(笑)ただ、昔だったら、たとえば失恋の歌を笑って歌っちゃみたいなところがあったけど、今はそれはまずいなと思うようになったけどね。前は、そんなに歌に入んなかったのね、きっと。知らないで歌ってたというか、これ歌いなさいみたいな感じだったから。今は、曲作りにも結構加わって、歌を大事にし、前よりもシビアになった。チャランポランだったもんね、前は。まあ、それはそれなりによかったけどね。


本誌 結婚して3年。いろんなことがあったけど、結果的には、結婚してやっぱりよかったみたいね。
 
アン まあ、いろいろあるけどね。だめになるときはなるんだろうしね。私ね、家さえ大事にしてくれりゃいいの。私といたときに、私を気持ちよくさせてくれればいいの、いろんな意味でね、変な意味じゃなくて。こっちも、もちろん相手を気持ちよくさせてあげてね。そしたら問題ないでしょう。でも、あの人、今、失業シマクッテいるからね、事件続きで、かわいそうやね。かわいそうな星の下に育ってんだね。でも、結果的によかったと思うのね、私。確かに、あのころいろいろ言われたよね。甘いとかさ。最近の大麻事件もそうだけど。でも、違うと思うの、私。芸能人という意識がなさ過ぎるからああいうことをやっちゃうと思うの。それを逆に書かれたでしょう。芸能人だから許されると思ってとか。そうじゃないのよ。気持ちよければやるしさ、そこで事件に巻き込まれるかどうかは、そこに居合わせた人じゃないとわかんないもん、その雰囲気って。でも、いろいろと勉強になったんじゃないのかな。もう、人んちに夜中に行かないこととか、くだらないことが事件につながるとか、一服吸っても仕事がなくなっちゃうみたいな話が、いろいろね。だから、そういうときはどうぞ外国へ、みたいなさ…。(笑)でも、面白かったね。休んでいる間、いろいろ事件もあったし、世の中が見えた気もするしね。

本誌 今は、そうだけど、渦中のときはつらくなかった?

アン いや、そのときはそんなにきつくないんだよね。あの事件のときもどんだけ家で楽しんでたか。(笑)
本人は、別に何にも悪いことしてないのにさ、くだらネェなと思ったけど、こっちはそれなりにテレビ見て、自分の旦那が捕まっている姿も面白いしさ。それが、たとえば人を殺したとかそういうんだったらいやだけど、別に……。
まあ、悔しかったよ、いろんな意味で。報道のされ方とか。間違っていた部分がいっぱいあったし。やっぱり、友達って、そういうときにははっきりわかるしね。帰ってきたときに、将大さんも、「お前には一生頭上がんネェな」とか言ったけど、今は頭上がりマクッているけどね。(笑)




YOUNGヤング1975年1月 新春特別号
渡辺プロ晴れ着撮影会

アン・ルイス 昭和31年6月5日生まれ

平凡1975年2月号 新春特大号
この表紙は1974年11月6日に東京プリンスホテルのガーデンで行なわれた〟'75年渡辺プロダクション晴着撮影会〝で撮影したもの。
11月とはいっても肌寒い一日。ガーデンの様相も閑散として淋しいものでした。それが撮影会の始まる朝8時ともなると、女性タレントの晴着姿で一面花が咲いたような華やかさ。

YOUNG ヤング1975年1月号
1975年新春スターかくし芸大会