
non・no 雑誌 1986年11月/5
愛のモノローグ
女は男の優しさで大人になれるものです。
「心の中を駆け抜けた優しい不良たち。」
手塚理美

あの人と一緒のときを生きればよかった、彼と一緒に輝けばよかった──そんな悲しくって、ちょっと懐かしい思いにかられることがあります。
私、高校生のころ、いわゆるツッパリの男の子たちがとっても好きでした。先生や親にメいっぱい反抗して、〝落ちこぼれ〟ってレッテルをはられても平っちゃらな顔してる男の子たち。そんな彼らに憧れたんです。

私、自分でいうのも変だけど、小さいころから妙に醒(さ)めている子でした。大人たちが何をいっても何をしても〝フーン、でも、こんなもんだ〟みたいに思っちゃって、うまく合わせてしまう。
子供のくせに世渡りのうまい子だったんですね。
幼稚園に通っていても、ある日「もうここには来なくていいです」なんて先生に言われちゃって。教えることは何もないからって。

「人に迷惑をかけてはいけませんよ」
これが、母親から教え込まれていた人生最大の教訓だったんです。
いつの間にか私は、いつも毅然(きぜん)としているお嬢さん、みたいなイメージを持たれるようになっちゃって。おまけに、私は仕事をしてたでしょ。小学生のときからはじめたモデルの仕事を高校生になっても続けていて、授業が終わるとスタジオに駆け込む日々。放課後、友達とダベったなんてこともない。高校生なのに大人の顔したお嬢さん…。でも、違うんです。私、醒めてるのは外見だけ。ワーッと激情をぶつけたい気持ちが、いつも心の片隅に渦巻いてた。
人と接するときは一分のスキもなく、ちゃんとしている私。でも、内面は違うんです。だれも知らないし、だれにも知られたくない揺れ動く内面を、私は自分ひとりで見つめていたんです。
そんなとき、私のそばに彼らが立っていました。周囲から針のようにトガったまなざしを向けられても、それにジッと耐えている不良少年たち。私は自分にはない輝きを彼らの中に見つけてしまったみたい。

non・no 1985年8月/5日
読者アンケートでも憧れの髪型、第一位
今、ボブが光ってる‼️ 手塚理美
はじめ、私のほうから声をかけました。
わりと気軽に声をかけちゃう性格なんです。
そこから先に進むのは、とても時間がかかるけど……。
当然、彼らは「何だ、コイツは」みたいな
反応でした。でも、私は決して彼らに尋ねなかったんです、「どうして、そんなことするの?」ってね。大人たちが決めたルールをメチャクチャに破ってタバコ吸ったり、バイクをブッ飛ばしたりする男の子たちに、理由なんてないと思ったから。

何も聞かない私を不良少年たちは受け入れてくれました。でも、一緒になって悪さをした、ってことじゃないんです。
彼らは、そんなこと私に要求しませんでした。
私が、彼らの行動じゃなくて心を愛してるんだ、ってことを無言のうちに分かってくれてたんですね。
とっても優しい男の子たちだった。優しすぎて傷つくことも多かった。ホンネとタテマエをうまく使い分けて生きる子に比べて、何倍も深く傷ついてたんだと思います。
でも、私にとってはヒーローでした。
よくも悪くも、自分の気持ちに素直な彼らがたまらなくうらやましかった。
私、ユーミンが大好きなんだけど、彼女の歌で
『ダウンタウン・ボーイ』って一曲があるでしょ。周囲からは不良と呼ばれている男の子に恋して、結局、お互いに生きるステージが違うと分かって彼と別れる女の子の物語。それでも、その女の子の心にはナイーブな彼の姿が、いつまでも生き続けるだろうという歌です。あの歌詞のひと言ひと言が、胸にしみるんですよね。

不良少年の中の一人が、あるとき私に言いました。「20歳になったら、こんなことができないだろ。だから今やるんだよ。今しかやれないかもしれないんだよ」ってね。
私、その言葉を聞いてハッとしました。
今しかできないことがあるなんて、今しかつかむことができない輝きがあるなんて、突き詰めたことなかったから。
ただ波風立てずに生きることで、青春の日々を終わろうとしていた私は、はじめて自分が失ったものの重さを知りました、ハミだして生きるってことの意味を教えられたんです。

高校を卒業するとき、クラスメートの女の子から言われました、「手塚さんはすごく遠い存在だった」って。
そんなふうにしか思われていなかった自分が悲しかった。
この10月から『花姉妹』というTV ドラマに出演してます。大阪・船場の大店(おおだな)に育ったお嬢さんの役なんですが、この娘、ただ
のお嬢さんじゃないんです。
何不自由のない温室暮らしを捨てて、外の世界にとびだして行くんです。安定も、しきたりも、恋も捨てて、ただ自分の心のおもなくままに走る19歳の女。とても魅かれる役柄ですね。

あのころの優しさを、彼は今でも変わらず持ち続けているのかしら?
大人顔して、実は生きることの意味を何も分かっていなかった私は、今、やっと本当の大人になりかけているような気がします。そして、今でも不良少年の輝きを追いかけているのかもしれません。