non・no 1986年11/5発行
愛のモノローグ
女は、男の優しさで大人になれるものです。
「遠い日、先生に抱いた透明な憧れ。」
河合奈保子
マーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』という小説、すごく好きです。
ヒロインのスカーレット・オハラのように恋の情熱に身をまかせて突っ走れたら、なんて憧れてしまう。
うーん、憧れるっていうか、憧れていながら、実は恐れているのね。
私、よく人からいわれるんです。
「奈保子は恋したら突っ走っちゃう。もう恋のことしか考えられなくなるタイプ」ですって。私自身もそんな気がします。
だから怖いの。反対されたらよけいに燃え上がるような恋をしてしまいそう。
今度の私の新しいアルバム『スカーレット』は、私の心の中に鍵をかけてしまってある激しさを、そのままぶつけたものなんです。

「河合奈保子は恋のウワサがひとつもないタレント」っていう世間の評判はホントです。
男の人に引き寄せられる気持ちの流れをどこかでせき止めていないと、もう奔流となって、すべてを押し流してしまいそうだから。
じゃあ、その激流がどこに吸い込まれていくかっていうと、私にとっては音楽が海になっているんですね。
23年間生きてきた私の感性がいろんな色の泡になって音の海を漂っているって感じです。
私は、おとなしそうな顔してて、実はすごくガンコですね。
執着心が強いというか、けっこう強度の粘着気質だと思う。何でも真正面からぶつかっていって、跳ね返されてもあきらめなくて、いつの間にか、その中に浸透しちゃうみたいなところがあるんです。

かつて、そのいいお手本がありました。
あの、ちょっと恥ずかしいんですけど、今のところ、私にとって最初で最後のステキな男性は、小学校のとき担当だった先生なんです。
「ヤア、何やっとるんだ!」なんて気軽に声をかけてくれた体育の先生。先生なのに少しも尊大なところがなくて、とても自然体の人でした。
授業中、私たち生徒がガヤガヤと落ち着きがないときなんか、「よし、ヤル気がないんだったら、みんな外へ行こう!」とかいってサッサと授業を中断しちゃうの。かと思えば、TV でおもしろいクイズ番組をやってると、「今は、クイズを見る!」といってTV をつけちゃう。


宿題もいったいださないんですよ。その代わり、毎日、〝自由ノート〟っていうのを提出させるんです。その日、自分がやりたい勉強を勝手に書いたノートなんですけどね。とにかく、人間は自分のやりたいことを力いっぱいやればいいんだっていう信念みたいなものを持っていた人でしたね。「中途半端がいちばんいけない」ってよくいってましたっけ。
私は、どっちかっていうと、おとなしくしみじみと生きていた子だったから、先生が大好きでも積極的に接近したりはしませんでした。ひっそりと先生の一挙一動を見つめてただけ。
それでも、体育の成績を上げようと必死に頑張ったんですよ。
マット運動のときなんか、ホントに恥ずかしくて上がっちゃって。だって先生の目の前でコロコロ転がるなんて、死にたいほどドキドキするじゃない。

大勢の生徒がいるんだから、先生は私を見ているとは限らないのに、妙にコーフンしちゃったりして。「ひょっとして失敗した私を見られちゃったら、どうしよう」なんて、ひとりで思い込んだりしたものです。だから私は、体育が好きで嫌い。ついに成績は真ん中より上になることはありませんでした。先生が転勤したとき、私ワアワア泣きました。そのときのひたむきな気持ちを、私は今でも引きずっているような気がします。
あれは、もちろん恋と呼べるようなものじゃありません。なんていったらいいのかな。男の人が持っている魅力…例えば強さとか、くったくのなさとか、大きな夢とか、そんなもののエッセンスに憧れたんだと思います。憧れて、ついにそれを自分の中に呼吸しちゃったんですね、私の場合は。普通の女の子みたいに、それを、まただれかほかの男の子に求めるってことはなかったみたい。


これ着てしっとり女の子らしく