つづきです。




子宮頸がんのウィルスに負けたのは、告知から8年ほど前の母が亡くなった前後だと思っています。





前回書いた休憩もない会社での長時間労働、睡眠不足、栄養の偏り、運動不足、ストレスによりかなり不健康な状態だったことは間違いありません。




母の入院と旅立ち




そんなある日、仕事中に母が倒れたと連絡が入りました。打ち所が悪く脳挫傷で頭蓋骨の中は血液でパンパンになっていると…

あちこち調子が良くなかった母は、血液がサラサラになる薬を飲んでいました。そのため脳内の出血が止まらず、かなり危険な状態でした。


付き添いの家族と逐一連絡を取り合い、一命を取り留めたことを確認してから病院に向かうことができました。


倒れてから半年間、うっすら意識が戻る瞬間が何度かありましたが寝たきりの入院生活となり、最後まで話すこともできないまま旅立ってしまいました。

仕事を辞め、片道三時間、電車を乗り継いで週に2~3回ほど姉と交代で病院に通いました。

完全看護でしたが、何も反応がなくても話しかけたり身体に触れたりすることも大事だと医師から聞き、家族みんなで協力しました。


この期間の心労は尋常ではなかったです。覚悟をしながらの病院通い、目を開けることも話すことも、食べることも飲むことも出来ないけど、痰が溜まって吸引されると苦しくて顔を歪めるんです。辛くて見ていられませんでした。


半年の間には色々なことがあって書くとキリがありません。この時は身体より心が辛くて辛くて、今でも思い出すと苦しいです。




それと当時、ズルズルとムダな恋愛をしていたことも少し影響していたかもしれません。









心と身体が健康でなくなってしまい、今までなら抵抗できたものに負けた瞬間に病気になったのかな…なんて、ぼんやり考えることがあります。


長い独り言となってしまいました滝汗アセアセ