子供の頃、武田信玄の家来の馬場美濃守信春は先祖だと 父に言われていました。


父の実家は長野ですが、長篠の戦いの後に子孫が山梨から長野に逃れて松代(長野市)の寺の住職になったと聞いていました。


 会社を定年になった父が長野の役所や祖先が住職をやっていたお寺などを回って家系図を作ったと聞いていましたが、見せてもらったことはありませんでした。


昨年、父が亡くなった後に父が使っていたパソコンを見ていた弟が家系図を見つけて、私にも送ってきてくれました。


10代前までの家系図でした。


よくそこまで調べましたおねがい


ダンナは自分の祖母の名前すら知らずびっくり


ダンナ父の相続の書類ではダンナ父の兄ぐらいしか載っていなかったのです。


 ダンナ家のお墓と過去帳にはどういう間柄なのかがわからない女性、男女の子供の戒名はあるけれど名前が書かれていないものがあり、40年ほど前に亡くなった伯父の相続の時の戸籍謄本を見てびっくりびっくり


末子のダンナ祖父の兄は全員「文久」やら「慶応」の生まれガーン


っていうか、明治時代の戸籍謄本です。



家督相続届とか廃嫡届、娶るなんていう言葉が時代劇のようですが、ダンナ祖父の時代(昭和10年代の戸籍謄本にも書かれていました)には当たり前のように使われていたんですね。

ちなみに私の祖父母は明治40年代の 生まれです爆笑

 ざっと調べた家系図はダンナ兄妹にやっとたどり着きましたが、一人ずつの戸籍謄本を詳しく解析(達筆だか字が汚い筆文字は不明な点多し)している最中です。