毎年書くことは同じなんですが。
3月10日は東京大空襲があった日。
私が住んでいる墨田区はほぼ全域が焼けました。
私が住んでいる場所も。
義父は戦争で中国➡シベリアに抑留数年で、日本では死んだことになっていて「葬式やらないと」状態だったので当時のことは知らなかったでしょうけれど、昭和22年のうちの工場の建築申請書の控えに「理由 空襲罹災のため」と書いてあります。
姑は同じ区の出身です。
小学校を卒業してから、自宅近くの花王石鹸で働いていたそうですが、「軍需工場だから危ない」と父親がやはり近くの「資生堂」に転職させたそうです。
姑が住んでいた地域は焼け残った場所ですが、戦中戦後の食糧難の話は聞きました。
義父の長兄の最初の奥さん(関東大震災で行方不明のまま)の実家や兄弟一族は3月10日の空襲で全員亡くなったということで義父兄弟でお墓を作り、10年ほど前までうちで管理していました。
全員行方不明のままなので、お墓の中はカラですが。
数年前までは会社で関東大震災と空襲の2回焼けた金庫を使っていました。
そして、今でも続いているのは神棚と仏壇には大きいコップで2つの水が供えてあります。
それぞれ1つずつはこの辺りで震災と空襲で焼け死んだ方々のためのもの。
10年ほど前からはうちの周辺はマンションだらけになり住人が入れ替わってしまったので、当時のことを知っている人、聞いている人もいなくなってしまいそうです。