施設の受け入れ体制ができたので、病院からは1週間で退院しました。
尿バルーンをつけていましたが、オシッコの色は真っ黒。
でも本人は特に痛いところがあるわけではなさそうでした。
手足が酷く浮腫んでいて、腰のあたりにも浮腫みで水の袋のようなものができていましたがショック
最初は食事をかなり食べていましたが、食がだんだん細くなりました。
看護師さんには「食事は本人が食べたい物を食べたい時にだけ食べさせてください」とお願いしました。
たんぱく質ゼリーや高カロリーゼリーのいろいろな味を買っておいて栄養をとってもらったり、アイソドリンクで水分をとってもらいました。
冷たいものや甘みのあるものは美味しく感じたようですねニコニコ
その頃は目が覚めている時は認知症なんてウソのように頭がはっきりしていました。
今、嫁姑問題を和解しなければひらめき電球

私 「お義母さんがアツコさんに言われて東松山に行ったけど、私はずっと一緒にいたかったんだよ」
お姑「びっくり
私 「アツコさんが言ったようにお義母さんのことを迷惑なんて思ってはいなかったんだよ」
お姑「そうなの!?
私 「私じゃなくて、よいお嫁さんがくればお義母さんは寂しい思いをしなくて良かったねのにね。ごめんなさいショボーン
お姑「そんなこと……私だって……ショボーン
私 「お義母さんは本当にいいお姑さんだよ。感謝していますぐすん
お姑 「ありがとう」

とても認知症要介護5の人との会話には思えないでしょうが、この頃は認知症の症状なんて消えていたんです。
亡くなる2日前にゼリーを口に入れたのが私が食べさせた最後の固形物でした。
その後、ベッドを起こしてドリンクを口に入れましたが1口しか飲まなかったのでベッドを倒すと、
「ありがと…」
私がお姑から聞いた最後の言葉です。
その日の夜に看護師さんから電話がきました。
「完全に食事ができないので、施設からの食事は止めます」
もうそろそろあちらの世界に行ってしまうんだなぁ(´Д`)
まだまだお姑は今のままでいると思っているダンナに一言。
「こういうことを言いたくないけどさぁ、お義母さんはあと1~2日だよ!!
急にあわて始めて、葬儀によぶお姑の弟妹たちに連絡を始めました。
テメーの親なんだからテメーで少しは考えろムキー爆弾
翌日もお姑のところに行きました。
側にいる間に呼吸が変わったのがわかりましたが、普段眠っている時と変わりませんでした。
夕方5時に帰って、食事がおわった8時半に当直の看護師さんから
「息を引き取りました」という電話が。

道が空いていたので車で30分で到着。
まだお姑は温かく、眠っているようでした。
眠りながら亡くなったようで、笑顔でした。
薬も点滴も使わなかったから顔が浮腫むこともなかったんでしょうね。
本当に可愛い笑顔でしたよニコニコ