《夢》
あまり、眠れなかった。
少しだけ、夢を見た。
夫と私、ひろと、赤ちゃんがたくさんいる建物に行った。
ひとつひとつ、小さな部屋に看板があって、赤ちゃんの名前が書いてある。
はるちゃんの名前を探すけれど、
結局見つからなかった。
出産した翌朝。
12/13
病室から見える景色がとてもキラキラして見えた。
夫に「これからは、世界がきっと違ってみえる」と言ったら
「俺もそう思う」と言った。
《退院》
主治医から、採血して結果に問題なければ今日退院することもできる、と言われた。
出産して翌日帰れるとは思っていなかった。
私は少し不安だった。外の世界に出たらもっと心が不安定になるんじゃないかと思って。
でも、早く家に帰してあげることが、私にとってベストと思ってのことなんだ、と思い、
退院を決めた。
主治医の先生は、「通常は産後2~3日入院なので。念のため一週間後診せていただけますか?」と言われた。
夫は役所に死産届けと火葬許可書の手続きに出かけた。
その間、私は臨床心理士の先生とお話をすることになった。
最初、カウンセリングを提案されたときは、断ったのだ。
「それすると、私、楽になっちゃうんですよね?だから、いいです」
私がそう言うと、提案してくれた看護師さんは返事に困っていた。
最後の内診。
問題ないですね!と言われた。
先生に、一言、言いたかった。
「こんなにピンピンしていられるのは、全て、先生のおかげだと思っています。ありがとうございます」
思えば、私が入院してから、先生はずーっと病院にいた。
バルーンを限界量入れた二日目の夜
「痛かったらすぐ呼んでください!僕、当直なんで!夜中でもすぐいきますから!」と言われたが、
翌日の昼もいたし、夜もいた・・・そして今もいるw
この先生は、いつ寝ているんだろう。
若い先生だ。たぶん20代。優秀なのだろう。
他にもいろんな仕事に就けただろうに。こんな不眠不休な仕事、志がないと絶対できない。
先生のおかげだと思った。
退院できることが決まった。
はるちゃんを家に連れて帰れる。
お着替え、されますか?と言われた。
服は、ピンクの肌着と、ピンクのリボンの柄の2WAYドレス
あと、ピンクのぞうさんのおくるみを用意していた。
はるちゃんの服は、ちょっとずつ買っていたものの、
しばらく袋から出しもせずにいたが、
天気の良いある日、はるちゃん用に買った服を全部洗濯した。
ベランダに干すと、ピンク一色でヒラヒラ風に揺れてとてもかわいらしかったのを覚えている。
お母さんとお父さんでお着替えされますか?と言われたが、
看護師さんのほうでお願いしてもいいですか?とこたえた。
お着替えが済んで、蓋の閉まった棺に入れられたはるちゃんが戻ってきた。
私は少しも見てあげることができなかった。
どうしても、どうしても、できなかった。
退院前に、主治医の先生が顔を見にきてくれた。
先生の顔を見たら、涙が止まらなくなった。
「ここにいる赤ちゃんが、私の赤ちゃんだと思えなくていいですかっ!?」
「私の頭の中にいる生きてる赤ちゃんが、私の赤ちゃんだと思ってて、いいですかッ!?」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、
それでも先生の顔をまっすぐ見て叫んだ。
先生は言った。
僕はいろんな赤ちゃんを見てきました。
本当のことなんて、わからないじゃないか、と言われたらそうかもしれません。
でも、赤ちゃんはお母さんに感謝こそすれど、恨むなんてことは絶対ない。
僕は、そう信じています。
主治医の先生は、一貫して、医師としてのスタンスを貫く人だった。
私と赤ちゃんのためになることなら、惜しみなく時間を割いてくれていた。
ベストな選択をいつも考え、
なぜそれがベストなのかを私がわかるように資料やデータも添えて
納得できるまで説明してくれた
でも、私がどんな感情的なことを言っても、
どんな精神状態でも、
けして動じない。寄り沿わない。同じ目線にはならない。
自分ができるのは医療。
それが、自分のすべき仕事。そんな感じで揺るがない人だった。
そんな先生が、最初で最後、精神論を言った。
医師としてではなく、「僕は、それを信じている」と言った。
それが嬉しかった。
妊娠初期から、不必要な注射を繰り返してしまったことによる精神的な不安、
そして、水頭症、また、今回の結果。
お母さんにとっては、とても大変な妊娠生活だったと思います。
本当に、お疲れ様でした。
先生は、私をねぎらい、深く頭を下げた。