久しぶりの三鷹。
約束の時間より30分も早く着いちゃったので、お店の近くをブラブラすることに。

お味噌のそこがミソ☆ chie*のお味噌ステキ探訪紀行-文学サロン内
 偶然出会ったのは「太宰治文学サロン」。
 しかも入場無料!!
 
 わーい、とさっそく入ってみることに・・・

 三鷹は2度目の結婚生活で子ども赤ちゃん3人目も授かった
 太宰治が暮らしていた街だとか。

 吉祥寺に住んでたことあったのに、太宰が
 三鷹に住んでたなんてちっとも知らなかったー



sao☆文学少女ではなかったけど、その奇異なる人生に興味を持ち、
「人間失格」や「斜陽」「走れメロス」「グッド・バイ」などを読みふけった高校時代。
太宰が通ったというバー「銀座・ルパン」にも知り合いに連れて行ってもらったこともあったかな。

仕事の後、気になって再度訪れた。

ボランティアスタッフの方が常時2名ほどいらっしゃって親切に説明してくれた。
ここにはかつて、太宰が仕事帰りにお酒を買っていた伊勢元酒店があったそうだ。

太宰治の作品が掲載された書籍や直筆原稿(多分レプリカ)も展示されている。

お味噌のそこがミソ☆ chie*のお味噌ステキ探訪紀行-文学サロン内

その方が親切にも、生前の太宰が間借りしていた仕事場の跡地や
一緒に入水した山崎富栄さんの下宿先跡などゆかりの地を案内してくださった。

入水した玉川上水の脇の道も散歩がてらに見学。
飲み水として利用されていたときは「人喰い川」と呼ばれるほど水量も多かったそうだが、
今では覗き込んでやっと水面が見えるくらい!

お味噌のそこがミソ☆ chie*のお味噌ステキ探訪紀行-玉川上水沿い お味噌のそこがミソ☆ chie*のお味噌ステキ探訪紀行-玉川上水

道の脇には「乞食学生」の一節と太宰の写真がレリーフになっている。
このころは土手のすぐ下まで水があったようです。
「青葉のトンネルのようだ木」と綴った太宰が見た玉川上水の景色、また見に来たいな。

お味噌のそこがミソ☆ chie*のお味噌ステキ探訪紀行-レリーフ

20歳で最初の自殺を試みてから39歳。
4度の未遂を経て自殺した太宰の心情はどのようなものだろうか。

お味噌のそこがミソ☆ chie*のお味噌ステキ探訪紀行-玉鹿石

 現在、入水したといわれる場所付近には、
 「玉鹿石」がおかれている。

 名石の産地で有名な故郷青森県北津軽郡金木村
 (現在の五所川原市)から送られたものだそうだ。

 入水の場所とわかるようにしていないのは、
 後追いするファンを出さないための配慮だとのこと。




太宰を読みふけっていた高校時代、こうして太宰治ゆかりの地が身近にあって、
そこを訪れるなんて想像していなかった。

なんだかあの頃の懐かしい気持ちがよみがえる・・・

と、センチメンタルになっているううちに、「山本有三記念館」があるということで
ちょっと見に行くことに。

お味噌のそこがミソ☆ chie*のお味噌ステキ探訪紀行-山本有三記念館 お味噌のそこがミソ☆ chie*のお味噌ステキ探訪紀行-山本有三記念館

す、すばらしいお屋敷です!
大正時代に建てられたものだそうで、当時の最先端の建築様式がみられ、興味深い。

裏庭からみたお屋敷もステキ。
中には入らなかったけど、暖炉が3つもあるそうで・・・
お味噌のそこがミソ☆ chie*のお味噌ステキ探訪紀行-中庭より

そして一方、太宰治は作家として成功していたにもかかわらず、借家住まいのままだったとか。

闇を抱え、生き急いだ太宰治の一生。

展示されている写真で印象的だったのは、子どもたちを見つめるとき、
友人たちと過ごしている、今までに見たこともない笑顔の写真だった。

幸せなときもあったはずなのに。
太宰治は死を選んでしまったが、遺された人たちは辛かっただろうと思う。

ネガティブになるときもあるけど、やっぱり生きていなきゃいけない、ってそう思った。

文学サロンとの偶然の出会いから、いつになく文学的に「生と死」を考えてしまった。

そしてもう一つの出会い。
親切にボランティアガイドをしてくださった女性。
通訳として働かれていたのですが、リタイアしてからこの仕事を始められたのだとか。
とても生き生きしてステキだったキラキラ
あんなふうになれるといいなって思った。

太宰治が好きだったという武蔵野の夕暮れの空を眺めながら、いろいろ考えちゃった一日でした。

井の頭公園からも歩けちゃう感じなので、お散歩がてら、興味がある方はぜひ行ってみてね~。

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