「おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉(うぶねかな)」俳人・松尾芭蕉


本日は市の会員謡曲発表会・素謡を聴く会

が行われました


自分の出番(本日は地謡でした)

が終わったあと、

東京で活躍される若手の能楽師による、素謡がありました

素謡というのは面や装束を着けず、囃子なしに謡だけをするものです・・・


演目は鵜飼


シテ(主役):高橋憲正  ワキ(僧):藪克徳  ワキヅレ:金森良充



地謡は大坪喜美雄先生

どなたも素晴らしく、たっぷり幽玄の世界に浸ってきました


ところで

この鵜飼の演目

鵜飼のあらすじは


ある僧が山梨県の、石和(いさわ)に着きます。

日も暮れ、御堂で一夜を過ごしていると、そこに松明を持った一人の鵜使いの老人が現れ、僧たちと言葉を交わします。

僧は、殺生をやめるよう諭しますが、老人は今更難しいと応えます。

お伴の僧が、同様の鵜使いに一晩世話をしてもらったことを思い出し、話をしますが

老人は、その鵜使いは、殺生禁制を破ったため、殺されたと告げ、

そして、自分こそが殺された鵜使いの亡霊であるとはなし、鵜を使った漁の様子を見せた後、

闇路へ消えていきます


僧たちは、川の石に法華経を書きつけて、老人を供養します。

すると、そこに閻魔大王が現れ、

殺生の罪により地獄に堕ちるべき老人が、従僧をもてなした功徳もあって、救いを得たと知らせます。

そして、法華経の有難いご利益を讃えつつ、慈悲の心を持って僧侶を大切にするようつたえるのです。




鵜飼は鵜に魚を丸のみさせて気絶したところを無傷で捕まえるという漁で

右手に松明を持って鵜を追いかけまわすというしぐさが

特徴です

魚をとって食べるのは仏教的に言うと殺生なんですね

私は動物系だけとばかり思っていました。

しかし、殺生が駄目だと人間はベジタリアンになるしかない・・

動物を食べたり、鵜飼のような残酷な楽しみを愉快と感じる

仕組みをなぜ神、仏は作ったんでしょう。そこからして不思議ですよね


曲全体を通して仏教、法華経の大切さを語る一方

鵜飼の様子を面白く表現するなど

残虐性やそれら殺生を切り離せない人間の性を感じさせるところもあります

後シテ(後半の主役)の閻魔大王が

『それ地獄遠きにあらず。眼前の境界。悪鬼外になし彼の者。』

(地獄は人間界にあり鬼も人の心にある)

と話すところはまさにそんな心持かも知れません

それらを踏まえたうえで

法華経によって罪深い人間を救済することができる

すなわち、罪を憎むことはあっても人間とは悲しいものだから

救済しましようという

罪を許すこと、を深く訴えていると、感じました

毎日ほんとうに色々な事件があります。本当に悲しむべきは

それらを避けられない人の性にあるのかもしれません

だとしたら

それはだれの罪なのでしょうか・・・・・

そして誰が彼らをさばけるのでしょうか