昨日、母が亡くなりました。
81歳でした。
長生きしてくれたよね。
今まで、しんどかったよね。
照れ屋な私には、ありがとうは恥ずかしいくていえなかった。
母の口癖は、『ありがとう』でした。
何にするにも、ありがとうっていってくれました
私は、もっと照れてないでありがとうって言えばよかった。
本当はもっと早くなくなってたそうです。
緩和ケアのホスピスの話をしたら、『家に帰りたい』でした。
緩和ケアに入る事を、母のケアマネさんに報告
したら言ってくれました。
『家に帰す事は出来ます。でも、相当な介護の覚悟を私がしないといけないよ』と…
私は、その場で決心しました。
母を家に帰してあげようって。
最期は、一緒にいてあげようって。
その日の内に、訪問診療の先生に相談、OKを貰いケアマネさんに報告。
これで、家に帰してあげられると思いました。
でも、お盆休みという壁が…
早くて、昨日の月曜日でした。
報告に行ったら、帰れるよって話をしたら早く帰りたいと母がいいました。
それから、毎日母の見舞い兼おむつ替えの練習。でも、日に日に弱ってくる母。
先週の木曜日、主治医からの宣告、いつ急変してもおかしくないので、退院は難しいといわれました。
迷いました。
動かさない方がいいのかと…
でも、母の家に帰りたいって、意思を尊重したい
次の日、訪問診療の病院が盆休み明けたので、先生に相談しようと待ち合いで待ってたら、たまたま訪看の人が通りかかり、話をきいてくれました。
『家に帰してもいいのでしょうか?』と
それは、うちが決めていい。
ケアマネさんは、月曜日退院手続きで周りは動いています。
訪看の人に、主治医の先生の言葉が引っかかり、退院していいのか悩んでると話をしました。
そしたら訪看の看護師さんが、『帰って来ても、すぐ亡くなる人もいるし、生きる人もいますよ』
私は、その言葉で母を家に連れて帰って来ようと決心しました。
そして、今日昔からの友達が休みだったので、母の退院の手伝いをしてくれるって言ってくれたので、甘えました。
迎えに行ったら、母はまだ寝てたのですが、声をかけたら、目を開け目を見て、『迎えに来たよ』って言ったら、頷いてくれました。
早目に付いたので、ゆっくりしてたら、母が早く帰りたいと布団をめくり、起き上がろうとして腕をバタバタさせて、動こうとするので、まだ介護タクシーの人が来てないから、待っててって何度も声をかけました。
時間になり、介護タクシーの人がお迎え、家に到着。
車の中では、手を握り、母は目を開けキョロキョロ動かして、外に出れたのを喜んでくれてたように見えました。
訪問診療の先生が、来てくださり母を見てびっくりしてました。
この呼吸の仕方では週末まではもたないな、今晩かもしれない、近いうちに…と…
主治医の先生から、聞かされた通りだったので、でも、まだ生きてるから大丈夫と思いました。
でも、訪看の人が2人来てくださり、母の口が切れてたので、治してもらってる最中、母の息が止まりそうだと…
駆け寄り、まだ息してる母の手を取り、わかる?ちゃんと居るからと声を掛けたあと、母は息を引き取りました。
私は、泣きじゃくりながらでも、母を看取る事が出来ました。
周りの人が助けてくれたので、出来た事だと思っていました。
そしたら、丁度ケアマネさんが家に来てくれて、私に言ってくれました。
家に帰してあげてありがとうって
私が言わなければ、叶わなかった事。
本当にありがとうねって、
周りを振り回しただけだと思ってたのに、ケアマネさんの言葉に救われました。
母も、辛かったはずなのに、ここまでもったのは、『家に帰れる』って気持ちだったと私は思っています。
本当は、ケアマネさんも昨日までもたないって、主治医から聞かされてたそうなんです。
これは、やっぱり母が決めた事。
最期の願い叶えられて良かったです。
長文、駄文失礼しました。
私の備忘録です