心の勉強をして、

やりたくない事をやめてもいいを知って、

仕事から帰ってきてから

家の事は最小限のことしかやらなくなった。



それまでは、帰宅後に子どもが

「ママ一緒にテレビ見よー」って言ったら

やることいっぱいあるから勝手に見てて〜

ってイラついたり、

仕方なく一緒に見ながら、

あーもう、時間がどんどんなくなる〜

ってイライラしてたもやもや

家事は私の領域と勝手に決め込んでいたのは

私なのに、

どうせできないでしょ?

私はこんなに大変でもやってるんだよ?

って上から目線でパパ君の事を見ていた。



あー、穴があったら入りたい🙈

でも、以前の私はこんな人間だった。



大変だからやってほしいとパパ君に言ったら

少しずつ色々やってくれるようになり。

適当なご飯を作っても、

いやご飯が何もなくたって、

「全然いいよー」って言ってくれる事を知り

そんな私でも愛される事を知ってしまった。



そこから変わった私は、

帰宅後に、子どもと一緒にご飯を食べて、ただただ子どもと一緒にテレビを見て、一緒にお風呂に入って、一緒に寝るだけの毎日。



やらなくてもパパ君に怒られるでもなく

嫌な顔をされる事もなければ

それでもいいとさえ言ってくれる。

だらけている私を誰が責めるわけでもない。



やらなくちゃいけないタスクをこなし、

ちゃんとしている事が、

いい母親であり、いい妻である。

私は完璧な人になりたかった。

そうじゃなくちゃいけないと思っていた。

自分に課した呪縛のせいで、

毎日見えない敵と戦っていた。

1人イライライライラしていたあの頃チーン



忙しいフリをして、大変アピールをして、

私は「忙しくても頑張っている妻」を演じて、

『えらいね』『頑張ってるね』って

言われたかっただけだった。




という事を考えていたら気づいた💡


「頑張っている私」でいるためには、

パパ君に、できない夫、できないパパに

なってもらわないといけなかったんだって。

私ができないパパ君にしていたんだ。



ひどい話だけど、たぶんそういう事。

思考が現実を作るってこういう事なんだゲッソリ



だとしたら。

私が働かなくちゃこの家は回らないとか

言ってたらあかーんって事じゃないですか?



これが今日ふと降りてきて。

ずいぶん前にてるマスで言われた事の意味が

今になってわかるというニヤニヤ



で、パパ君に聞いてみた。

私「もう私、仕事辞めてなんにもしないっていうのありかな??」

パパ「それダメでしょ。生活していけないよ」



そういう事かゲッソリ

この現実も私が作っているのかもしれない笑い泣き

散々、私がバリバリ働かないとこの家はやっていけないって思ってたし、パパ君に言ってた私。 



あげまんの逆笑い泣きあかんやーん



洗濯のスイッチすらわからなかったパパ君が

「このゴムの部分乾きにくいから、こうやって干してね」って言うまでに変わったんだから


「仕事辞めてもいいよ、俺が働いてなんとかするから任せとけっ」って言ってくれる日がいつかやって来るといいなーデレデレ