私はお洒落することが好きだったの!
でもね、声を大にしていうのは
恥ずかしくてできなかったんだよね。
私なんかがやっても似合わない。
どうせ力を入れたとて所詮この程度。
ダサいと思われたくない。
頑張ってダサいと思われるのは嫌だから
あんまり興味ないふりをしておこう。
周りにどう思われるか
いつもここが最重要項目だった気がする。
なんでそうなったかを振り返ると多分これ。
中学生の頃の陰口ってなかなか残酷だったりして、そういう傷ついたワードが心に刻まれていたり。
自分に自信がある時は大丈夫でも
自信がなくなったり、思うようにならなくなると途端にこれが顔を出してくる。
そして子育てに奮闘している時なんて、自分に手をかけられない(って思い込んでいる)から、言い訳にもちょうどよかったのよね。
どうせ私が努力したって
あの人みたいになれるわけじゃないし
って思ってはやる前から諦めたり
努力してもどうせ変わらないのに
努力してる事を周りに知られるのが恥ずかしい
とか思っているとこもあったなぁ。
これはお洒落に限らず全ての分野においての
私の思考癖だった。
そもそもの前提が間違っておる。
誰かのためにじゃなくて、自分のため。
自分がウキッ🎶ってなるだけでいいのよ。
なんか私いいかも♡って思える瞬間が
増えればそれだけで十分なの。
『私の好き』なのに
変だと思われやしないしら、ズレてないかしら
って気にしてばっかりいたなぁーって。
だから、自分の好きがわからなくなってた。
いや違うか。
本当はあっても「私はこれがいい」が素直に言えなくなってた。
こっちの方が正しいのかも。
「私は〇〇な人です」
自分に掲げる看板に何を書きますか??
どうせ理解されないって思っていたら
そんな現実しかやってこない。
どうせ陰口を言われるって思っていたら
陰口を言われているようにしか感じられない。
全ての始まりがこの前提から成り立つとしたら
ネガティブな言葉を並べるのは辞めたいな。
私に掲げる看板は、私のナビゲーター。
私を導いてくれる役割をしてくれるんだって。
なるほどなぁと思ったよ。
そしたら繋がった。
昔私がもらったキラキラワードは私の前提。
私はいい子じゃなくてもこのままで愛される人
この前提って最強じゃないですか。
何をするにもこの前提があれば大丈夫。
これを信じて行動すればきっとうまくいく。
よーし!
自分を信じて気分の上がるアイテムを身につけて自分の好きを少しずつ出していこう。
そうやっていくと「私はこんな人」が
どんどんわかってくるんだって。
自分を知る事って終わりがない。
ずっとやってきてたはずなのにね。笑