東野圭吾の傑作ではないでしょうか。
今まで、彼の作品は随分と読んできましたが、その中でも秀逸な一作。
二人きりの兄弟。兄は弟を大学に入れてやりたいという一心から強盗殺人を犯してしまう。
そんな兄は服役中、弟宛に月に一度手紙を送り続ける。
その一方、弟は進学、就職、夢、恋人と全てにおいて強盗殺人犯の弟という事で、
差別を受け続ける暮らしを余儀なくされる。
こちらもネットのレビューであらすじは頭に入ってはいたのだけど、
このような難しい題材を著者がどのように完結させるのかにとても興味があった。
というのも、数年前に「『少年A』この子を産んで」という、
あの日本全国を震撼させた神戸少年 殺害事件の両親が書いた手記を読んだから。
特に少年犯罪に興味があるとか、そういった事には関係なく、
読む本が無くて、とりあえず借りて読んだだけだったけど、かなり衝撃的だった。
犯罪者の家族というのは、自分の家族が加害者になった時、
何を思い、何を考え、どう行動できるのか。
読後、悲しいくらい、彼のご両親の存在が歯がゆかったのを覚えている。
親としての責任は当然だけど、それ以上に自分の子供を理解できなかった事に、
終始苦しんでいる事が、あぁ、人間って本当に弱いな、って思った。
「自分の家族はそんな事をするはずはない。」
そんな詭弁は通じない。
私の家族だって、絶対人殺しなんかしないと思うけど、それさえ未知の世界。
もしかしたら、殺人犯になるかもしれない。
ならない事を祈るし、私は家族を信じているし、愛しているから、
私自身は家族を悲しませるような事は(倫理的にですが・・・)、絶対しない。
でも、その愛する対象が変わってしまった時、自分が犯罪者にならない可能性はない。
愛するがゆえ、殺人を犯す。
愛する人を守るため、殺人を犯す。
これって、どう対処したらいいのでしょうか?
人は殺したくない。
でも、もし私の大事な人を苦しめたり、悲しませたりする人がいたら、
私は、人を殺す事も厭わない気がする。
実際、私は過去に一度、殺意を覚えた事がある。
もし、本当にその人が私の大事な人をもう一度苦しめる行為をしたら、
その人を確実に傷つけた。
犯罪者になるのも、ならないのも紙一重。
それを押さえているのが、人間がもつ「理性」であって、
「倫理観」で、「社会性」なんだと思う。
社会がある限り倫理観は植えつけられ、それを守る為の理性を働かせる。
それが人間。
もし、その方程式が間違った答えを出した時、人は犯罪者になる。
そして、その犯罪者が自分の家族だったら・・・。
自分なら・・・なんて仮定はあえてしない。
それでも、東野さんの「差別」と「逆差別」の定義には
悔しいけど納得せざる終えなかった。
差別をしてはいけない。
その道徳観から、周りの人間が差別を受けるべき人から
逆に差別を受けている環境を作り出してしまう。
アメリカのような多人種国家にいると、痛いほどその意味が解る。
例えば、黒人。
はっきりいって、彼らを差別する事が今は周りの人間にとっての害になる。
彼らを明瞭に差別する人は、今の時代、いない。
それでも、歴史が彼らを差別し続けている。
それは黒人以外の人ではなく、黒人自身が自ら差別する環境を未だに作ろうとしている。
強者でいるよりも、弱者でいるほうが楽な事を彼らは覚えてしまっている。
「僕らが黒人だから」
違うよ。と言いたい。
それにすがって、それに拘っているのは黒人自身だと気づかない。
就学率が悪いのも、就職率が悪いのも、失業率が高いのも黒人だからと思い込もうとしている。
本当は自分達が怠惰なだけなのに、それを認めようとしない。
私だってアジア人さ。マイノリティさ。
未だに「Jap」呼ばわれする事もあるさ。
でも、私は怒らないし、不機嫌になったりもしない。
内心、気分は悪いけど、馬鹿はほっとく。
自分の成績が悪い事も、就職活動が上手くいかない事も人種のせいになんかしない。
自分の能力を先ず始めに疑う。
すべては自分次第だと私は知っているから。
差別する人間も、差別される人間も、どちらが正しいとも、間違っているともいえない。
それでも、はっきりしているのは、全ての人間には選択肢があり、決定権がある。
誰かの幸せや権利を奪う事はおろか、命を奪う権利だってない。
何が自分にとって、大事な人にとって幸せなのかを考えた時、
人は本当の意味でのその大事な人を守る強さや優しさ、思いやりを持てる気がする。
そんな事を考えさせてくれた作品でした。
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