金城一紀の「対話篇」を読みました。
以前から読みたかったのですが、なかなか手に入れる事が出来ず、
NYに行った際にようやく出会えた一冊。
ネット上で交わされるレビューで期待はしていたのですが、
星で言ったら![]()
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ぐらいかな・・・。
実は、「恋愛小説」は先に映画で見てしまって、
内容も落ちも知っていたので、映画と原作の違いを知った、
みたいな感じになってしまったのが残念。
それでも、やっぱりお話の内容は印象深かったです。
自分と関わった人間が次から次へと亡くなっていく。
それ故、周りからは「死神」と呼ばれ、孤独を余儀なくされた青年が恋に落ちる。
その恋人の一言がとても印象的。
「いくら親しい人がいたとしても、
会わなくなったらその人は死んじゃうのよ。
-たとえ思い出の中で生きていてもね、
いつの間にか死んじゃってるのよ。」
アメリカに来て早5年半。
日本にいる友達との繋がりがどんどん薄くなっているのを
身をもって知っている私としてはとても切ない言葉だった。
確かに、もう生きているのか死んでいるのか解らなくなった友達がいっぱいいる。
一緒に過ごした時は、泣いたり笑ったり、随分したものだけど、
そんな思い出はあっても、実際の友達の姿は目に見えない。
悲しいくらい、人との出会いと別れの運命性を私は信じている。
もしも・・・の世界で出会った人と、出会わなかった人がいる事を日々感じている。
あの日、あの場にいたから出会えた。
あの時、あの場所で決断をしたから別れた。
そんな時間軸の運命性を私は享受している。
そう、運命とは自分で作り出しながらも流されていくものだと思う。
「対話篇」は死を根底に、人との出会いと別れを記憶と思い出で紡いだお話だと思う。
そして、そこには人生において出会い、別れていく人々の運命がある。
でも、それは偶然ではなく、自分自身で作り出した必然だと思う。
元からあった運命というレールに沿って過ごしてきたのではなく、
一つ一つ自分で決めた決断の上でレールが敷かれ、その上の歩むのが
運命に支配された人生なのだと思う。
その答えは、「対話篇」の最後のお話「花」で証明されている気がする。
死を選ぶのも、生きるのを選ぶのも、全ては主人公自身の決断に任されている。
たとえそこに潜む悲しみや、後悔や、絶望があっても
人は自分の人生においての決断を迫られ、下す。
思い出も、記憶も、失敗と後悔の連続だったとしても、
自分のものである以上、それは愛しさで溢れている。
鼻の奥がつんとする切なさの中に、優しさがある、
そんな本に出会えて良かった。
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