「平岩弓枝氏」の本を初めて手に取った。
時代物を書いているイメージのみで、食わず嫌いをしていた。
タイトルにもある「女の河」、「女たちの家」、そして「絹の道」。
今だから読めたのだな、といのが読後評。
今以前でも以後でもダメだったような気がします。
自分の状況に置き換えて、全ての女たちに共感してしまうし、
容易にその女心が解ってしまう。
今は昔の現代もの。それでも、今に通じる人間像、
特に女の心情描写に脱帽です。
男に翻弄されて生きる事に甘んじている女の狡さ、
その中で自我に目覚める女の身勝手さ、勘違い、
優しさと思いやりに隠れる、残酷さ。
純潔である事への正当化。
女って、つくづく卑しい生き物だなぁ、って思いました。
野心とプライドだけを鎧に現代を生き抜いてきた、生きている男の方が、
単純で清潔感があるような気がしてしまったのは、
私が捻くれているからでしょうか?
「女の河」は、基本的には似たもの同士の二人の女を中心に渦巻かれた、
男達、女達の人間模様とでもいうのでしょうか。
大企業の内幕に関わる人間達の間で繰り広げられる心理戦。
これがまた、ありそうでなさそうな、はっきりいって陳腐で使い古されたプロット。
昭和50年にサンケイ新聞で連載されていた時点では新しかったのかもしれませんが、
読み飽きている感があるストーリ展開です。
それでも、続きを読みたくなる。
主人公たちに次に何が起こるのか、何をするのか、
それを期待させる筆力は流石です。(素人が何を言っている、と思いますが・・・)
それは、前記したとおり主人公達の心理描写の素晴らしさでしょうか。
読者にだけ解る彼らの気持を、彼ら自身は知る事もなく、
かといって、取ってつけたように理解するわけでもない。
実世界でもそうあるように、物思いに耽っている時の気持を他人に解られたらたまったもんじゃない。
一人思うのは、一人で思うのであって、誰かに告げない限りその思いが解る事はない。
平岩さんはそういったリアルを忠実に人物描写の際に扱っている事に共感がもてました。
あとあと話の流れを繋げる為だけに、「あれはそうだったのか!」みたいに、
誰も言っていないのに、また言う必要もなく告げたりして繋げている文章を読むと
「おいおい。」と、つっこみたくなります。
解らないものは、解らない。
だからこそ、小説という虚像の世界で主人公達が空回っていたりすると
先を読み続けたくなるモチベーションをあげてくれます。
まぁ、一つ難点は長いお話だったので忘れた頃に、
あれはあぁだったのよ、みたいに後々謎解きをしたり、
不審点に合点がいったりすると、ちょっと歯がゆいです。
推理小説じゃないんだから。
まぁ、推理小説でトリックが下手なものを読まされるよりはましですけど。