アメリカンドリームを信じていた訳ではないけど、夢はあった。
今もある。
20代後半になってやっとはっきりして、始めるには遅かったけど、
今だから始めようと思えたのかな、とも思う。
五木寛之さんの本、『ことばの贈り物』中の一節;
やりたい事があるのなら、それをやる事です。
二十代ならそれが許される。
そして、三十歳になったとき、まだそれをつづける気持があれば、
あなたは人生の成功者です。
この言葉にどれだけ励まされたか・・・。
アメリカにきたのは、自堕落な日本での生活を一掃して
ちゃんと学歴をつけること、それだけの理由。
というのも、その時付き合っていた周りの友達達は国立やら六大学やらに行っていて、
それをステータスにしているような人たちばかりだった。
「すごいねぇ~」と、いいつつも私の中の学歴コンプレックスをチクチク刺激していた。
学歴がなに?
と思いつつも、ないのはやっぱり嫌で、あったらあったでいい。
二十歳になって、再受験をするには日本の大学の狭き門。
進むべき時に進まなければ、その道は閉ざされてしまう。
それに比べて、生涯教育を謳うアメリカの大学は入るの簡単。
じゃあ、アメリカだ!!
単純明快。
そんなもんです。動機は不純です。
でも、アメリカはそんなに 甘くない。 当たり前です。
必死で勉強しましたよ。毎日8時間とか。予習と復習で追われっ放し。
テスト前は睡眠時間なんか、全くなかったし。
英語は話すのも、書くのも下手だったし・・・。
読むのだけは得意だったのが救い。
それで勘違いしてしまったのかなぁ??
自信になったのかなぁ??
2年生の学校を卒業して、4年生に進学した時は迷わずに
『English Major』 取りました。
プロフェッサーに、「Major、変えなさい」と何度言われた事か・・・
Nativeでさえ取るのが大変なのに、留学生が??みたいな感じでした。
実際、私の学部には日本人どころか、留学生なんか殆どいなかった。
何度もへこんで、自信なくして、でも、戻る事も出来なくて・・・
大変だったけど、ちゃんと 卒業 しました!!!
そして夢みるは 「ライター」
夢みるのはただ。なりたいと思えばなれるさ。
その道は辛くとも。狭くとも。やってやれない事はない。
母曰く、
どうせ諦めるなら、やれるだけやってから諦めれば? とのこと。
で、今も私はアメリカの空の下、物思いに耽る。
朝降っていた雨が上がって、空気が浄化されて綺麗な一日だ。
さて、少し散歩に行ってこよう。
あと、どの位いられるのか解らないこの街を歩きつくさねば。