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「 マヤ、 何か辛いの? 」
「 別に 」
「 おなか空いてない? 何か食べる? 」
風子は私の世話をしたがった。 誰よりも心配してくれた。
それが 姉妹を想う様な気持ちとは違う事を
私は解っていた。
或る日の夕方 練習の後 とても疲れた時があった。
気をつけていたのに 風邪でもひいたのだろうか。
風子はずっと 私のそばにいて離れなかった。
とても温かくて 半分眠りに入りかけた時
風子が唇を寄せてきたから 咄嗟に避けた。
「 悪いけど 私はあんたに何もしない 」
ひどい言葉だと分かっていたが これ以上入り込まれたくなかった。
「 ・・・カノンには? 」
「 えっ? 」
「 カノンには 何かするの? 」
「 ・・・ しないよ 」
風子は 時々面倒くさい。
「 あのコ綺麗だもんね。 あなたもカノンが良いんでしょ? 」
「 は? 何言ってんの? 」
「 もういいよ。
あたし別に あなたにどうにかして欲しいわけじゃないから 」
その晩 風子がいなくなった。
まだ子供の頃、 練習がきつかったり カノンと喧嘩したりで
風子は何度か いなくなった事がある。
その時は小春さんが迎えに行っていたが
今日は私が行く事にした。
今 あのコが行きそうな場所は分かっていた。
小さな呑み屋を営んでいる悦子さんの店だ。
悦子さんは五十くらいの男性だ。
豪快に笑うと 時々男の声に戻るけど
普段はとても女らしくて 優しいママさんだ。
風子は何かとこのママさんに可愛がられていた。
私は風子を迎えに行きながら、 馨の事を思い出していた。
風子が私に対して ある種の気持ちをぶつける様になったのは
馨との事があった後からだ。
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カノンが男達から見つめられるように
私は 何故か女達に見つめられていた。
恋愛ごっこに夢中になりすぎると
愛憎に変わる事を知らなかった。
二年前 一人の女に出逢った。
馨はお金持ちの若奥さんで 当時彼女は二十七、八だったと思う。
親子ほど離れた旦那と その母親と大きな屋敷に暮らしていた。
旦那は自分の妻に心底惚れているようで
彼女が このサーカス団を気に入っていると知ると
団に ポンと寄付をくれた。
「 君は綺麗だ。 だからそのままの君でいて 」
そんな言葉は 出張から帰った旦那に言わせておけばいい。
ひと時の熱情を楽しむ女には
そんな退屈な囁きより
少しのジェラシーを匂わせた つれない態度を見せる方が
女の体の芯を酔わせる事が出来る。 と、
最初は軽い気持ちで思っていた。
「 私と会う時には これを着てほしい 」
彼女から ワンピースを何着かプレゼントされた。
清楚なデザインの 肌触りの良い布地だった。
私はそれまで 動きやすいズボンとシャツばかり着ていたから
自分に不釣り合いなワンピースを贈られた時は驚いた。
着てみると こんな私でも普通の女の子に見える。
馨の実家には もう誰も住んでおらず
彼女の持ち家になっていた。
そこで私達は逢うのだ。
二人で歩いていると近所の人だろうか、 挨拶をしてきた。
「 こんにちは 」
彼女も にこやかに返す。
私は その時初めて この綺麗な贈り物の意味が解った。
一緒に居る所を 誰かに見られても
ただの女友達にしか見えないだろう。
二人の間にある妖しさなど感じない どこにでもいる女友達。
人妻である馨にとっては
見た目の二人は そうでなければならなかったのだ。
彼女の方から熱烈に寄ってきたのに。
結局 周りの目が大事なのだ。
( 馨はずるい。 馨は卑怯だ )
腹が立って バカバカしくなって それなのに私は
馨を忘れられないでいた。
そんな自分が哀しかった。
彼女の肩から首筋を 痕が残らないように唇でなぞっている時
重なった二人の髪を見ては思う。
( ああ 私はこのひとより 髪があかいんだな・・・ )
彼女と逢う度に 自分の気持ちを
これ以上 のめり込ませては駄目だと割り切ろうとしていた。
艶を増してゆく妻の肌と瞳に 夫が気付かないはずはない。
姑と同居させている事に負い目を感じているのか
生活から ほんの少しの間だけ抜け出すような妻の遊びを
責めはしなかったらしい。
まさか相手が女だとは思わなかったろうが。
彼女にとって夫婦の営みは苦痛を増すものだった。
もしも彼女が旦那に殴られたり蹴られたりしたなら
私は亭主を殺したかもしれない。
そんな強い想いが 馨に幸せを与え 不幸をもたらしていたのだ。
もう別れようと思った。
その日はワンピースではなく普段着で会いに行った。
すると、遠い海までの片道切符を手渡された。
列車に乗ってからも ずっと黙っている彼女に、
明日 次の公演場所に移動する事を伝えると
見えてきた広い海をじっと見つめながら呟くように言った。
「 この寒い海に入ったら 死ぬかしら 」
「 死ぬでしょうね 」
「 一緒に 死のうか 」
私は答えた。
「 いいですよ 」
そして抱きしめた。 列車の中に他の客もいたけれど平気だった。
馨はしばらく 抱擁の中で息を止めていたが
ひとつ深い呼吸をして
「 帰りましょう。 今日はお忙しいのにごめんなさい 」 と、
細い声で言った。
私達は駅舎から出る事もなく、反対側のホームからそのまま引き返した。
結局 彼女は死にはしなかったし
それ以来 私とも会わなくなった。
§
どんなに馨を想っても 一度も泣く事がなかった冷たい私が
風子に何かしてあげられるはずもない。
ふくよかで 優しくて 甘くて。
理想の母親像に近いのか、
馨に紡いだような熱情を 風子に向けるなんて気にはなれない。
悦子さんの店が ポウッと温かい灯りを放っているのが見えてきた。
~ つづく ~